「力道山が刺された直後に私に放った言葉は…」 現場となった「ニューラテンクォーター」元社長が真相を語る

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深夜の赤坂は大騒ぎに

生島 刺された力道山の傷は、深くはなかったのですか。

山本 腹部の傷口を見せてくれたのですが、Tシャツに小さな穴が空いているだけで、血は流れていませんでした。ああ、浅手でよかったとほっとしたのを覚えています。力道山はその後、山王病院で応急処置を受けて自宅に帰りました。でも店は、それからが大変でした。事件を聞きつけて浅草から東声会広村一家の連中が乗り込んできたんです。「誰が先生をやったんだ!」と店の応接室で大暴れ、私を庇おうとした副支配人が、殴る蹴るの暴行を受け、前歯が2、3本飛びました。私は大学時代から空手をやっていたので、そんな修羅場でも意外と冷静でしたが。

生島 とんだとばっちりですね。

山本 一方、村田から事情を聞いた小林会長は、村田を連れて赤坂のリキ・アパートに出向き、子分の不始末に対して力道山にわびを入れました。ただそのリキ・アパートのロビーでも乱闘が起きた。東声会の連中と村田が鉢合わせしたんです。ドスで顔を切りつけられた村田が、力道山を刺したナイフで応戦、腹を刺された相手は瀕死の重傷を負いました。騒ぎを聞きつけた警察の機動隊がやってきて、ようやく事が収まったんです。深夜の赤坂の街は大変な騒ぎでしたよ。

麻酔のミスだった?

生島 まるで任侠映画ですね。そして、力道山が亡くなったのは、1週間後の12月15日です。それがよくわからない。

山本 事件当日の診断は、右腹部刺創による小腸2カ所の損傷でした。でも傷は浅く、力道山はピンピンしていました。手術も成功しましたが、数日後に腸閉塞症を起こして再手術を受け、その4時間後に亡くなりました。死因は穿孔性化膿性腹膜炎と発表されましたが、本当は麻酔のミスだったといわれています。力道山は体が大きくてなかなか麻酔が効かず、大量に入れたら心臓にきたらしい。

生島 享年39ですからあまりに若い。それにしてもあの力道山にしては、あっけない最期でした。

山本 私自身、ショックでした。また、事件の後はかなり嫌がらせを受けました。執拗な脅迫電話が続き、麹町警察署から刑事数名が警護のために私についてくれたほどです。最終的に騒動に終止符を打ったのは児玉誉士夫先生でした。力道山の葬儀会場だった大田区池上本門寺で、葬儀委員長の児玉先生が小林会長と町井会長を呼んで、「ニューラテンクォーターは彦さん(吉田彦太郎)の店だってわかってるね。だから、みんな仲良くやってくれ」と。その一声で、小林会と東声会の手打ちが整ったんです。

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