「力道山が刺された直後に私に放った言葉は…」 現場となった「ニューラテンクォーター」元社長が真相を語る

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「どうして俺を刺させたんだ!」

生島 それで山本さんはどうされたのですか。

山本 私は金縛りにあったように動けなかったのです。ですが、その時初めて男が誰かがわかりました。彼は、小林楠扶会長の組員、村田勝志でした。その村田が立ち去ると、力道山が立ち上がって私の胸ぐらをつかみ、「信太郎さん! どうして俺を刺させたんだ!」と叫んだんです。

生島 どうしてそんなことを言ったんですか。

山本 力道山は当時、「銀座の虎」と恐れられていた町井久之会長率いる東声会とじっこんでした。東声会は、在日朝鮮人を中心とした組織で、同じ半島出身の力道山をバックアップしていた。町井会長は山口組の田岡一雄組長の弟分で、力道山の後援会長ともいわれていました。一方、ニューラテンクォーターは、先にお話しした通り小林楠扶会長に顧問をお願いしていました。当時、東声会と住吉連合系の小林会は銀座でしのぎを削っていて、一触即発の状況だったんです。

偶発的な事件だったのか

生島 つまり力道山は、東声会と小林会の争いに巻き込まれ、自分に刺客が送られたと思った?

山本 力道山はそれを疑ったのでしょう。でも事実は違います。事件の後、村田は懲役7年の実刑判決を受けたのですが、出所後に一度会って話したことがあります。彼が言うにはトイレに行く時、入り口に力道山とホステスが立っていた。その後ろをすり抜けようとすると、力道山が「オレの足を踏みやがって」と因縁をつけ、襟首をつかんできた。それで彼が何か言い返すと、いきなり拳が飛んできたそうです。そして、あくまでも身を守るためにナイフを抜いたというのです。

生島 暴力団同士のあつれきとは関係なく、偶発的に起こったと?

山本 私も偶発的な事件だったと思います。当時、巷では「村田が力道山を殺(や)って男を上げようとしたのではないか」といううわさも流れました。でも、あの時の村田にそんな余裕があったとは思えません。はたして二人の間に言い争いがあったのかどうか。力道山がいきなり先に手を出して、村田が応戦したのは確かですが、私は何も聞いていません。事件が起こる前に一度、やはりトイレで二人が一緒になり、言い合いをしていたという話もありますが、当事者の双方が亡くなったいま、争いの真相は藪の中です。

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