「おでん東大」店主殺害事件 かつての“風俗街”復興のヒーロー「娘婿」が逮捕された、沖縄の深くて暗い闇

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事件現場となった“栄町”

 今年8月上旬、沖縄県那覇市の盛り場・栄町にある老舗の酒場「おでん東大」の店主、長浜美也子さん(当時58)が、店舗二階の倉庫内において心肺停止状態で発見され、まもなく死亡が確認された。警察は事件、事故の両面から捜査していたが、約3ヵ月が経った11月6日、娘夫婦である許田美香容疑者(34)と許田盛哉容疑者(34)が殺人の疑いで逮捕された。

 この事件を語るには、“栄町”という盛り場の成り立ちに触れる必要がある。

「おでん東大」の現在の住所表示は「那覇市安里」(あさと)だが、もともとは那覇市とは異なる真和志市という自治体に属する地域で(1957年に那覇市と合併)、戦前戦中には、「ひめゆり学徒隊の悲劇」で知られる沖縄県立第一高等女学校があった場所だ。戦後の復興期に当時の真和志市長・翁長助静(おなが・じょせい)の肝煎りで、公設市場、料亭、劇場などから成る新たな中心市街地が造成され、「栄町」(さかえまち)と命名されたが(1955年2月)、「おでん東大」のある388番地一帯は、安里と呼ばれるようになった現在でも栄町という通称で通っており、公設市場も私設市場に姿を変えて、いまも栄町市場として営業を続けている。この町を造った翁長助静は、翁長雄志前沖縄県知事の父君であり、地元では、栄町といえば「翁長家のお膝元」としても知られる。

 現在の栄町は、昭和レトロな飲み屋街として地元客だけではなく観光客のあいだでも評判だが、ほんの20年ほど前まで、栄町には別の顔があった。「泊まれない旅館」「酒を飲めないスナック」が密集していたのである。いわゆる「ちょんの間」(ショートタイムの売春が行われる店)である。多いときは30~40軒の店舗があったというが、筆者が沖縄取材を始めた1990年代前半の時点でも十数軒の店が営業していた。栄町は、男と女の欲望と悲哀が渦巻く町だったのである。

 一方で、「ちょんの間の町」というイメージを払拭するため、飲食で勝負しようと努力を積み重ねてきた人々も少なからず存在した。そのひとりが、「おでん東大」の3代目店主・長浜美也子さんだった。

“おでん”で地元を盛り上げた女性店主

 筆者は20年以上前からこの店をしばしば訪れているが、美也子さんが考案した独自のメニューは魅力的だった。なかでも、おでんの出汁に漬けこんだ豚足を油で揚げた「焼きてびち」は逸品で、「酒場詩人」として知られる吉田類や、『ニッポン居酒屋放浪記』の著者・太田和彦が絶賛したほどである。美也子さん発案の「焼きてびち」は、沖縄の他の酒場や料理屋が続々と真似する人気メニューとして、沖縄各所に広がっている。

 珊瑚礁に囲まれた南国の島国・沖縄で「おでん」というと不思議がる人が多いが、温暖であるが故に食べ物が傷みやすい沖縄では、煮物(煮付け)、揚げ物、炒め物が日常食の中心であり、おでんは“煮物の横綱”である。以前は、那覇市の「道頓堀」や「ハート」、沖縄市の「揚羽蝶」や「秀」といったように、おでんの有名店がたくさんあったが、「道頓堀」以外はみな廃業してしまった。唯一生き残っている「道頓堀」のメニューにもおでんはもうない。20世紀から続くおでんの名店はいまや「おでん東大」だけといっていい状態だった。

 沖縄のおでんには、地元では「豆腐」と呼ばれる厚揚げ、地元では「カマボコ」と呼ばれるさつま揚げなどの練り物、コンニャク(おもに白コンニャク)、大根、結び昆布、葉物野菜(レタスや沖縄特産のハンダマなど)といったタネが入っているが、他地域のおでんにない最大の特色は「てびち」が入っているところだ。しっかり下処理をした柔らかいてびちはおでんのタネとしてどの店でもいちばん人気で、美也子さんはこれを揚げ物として供することを思いつき、それを最初に実践した偉大なるオリジネーターである。

 最近でも、袋物の中身を工夫するなど、美也子さんの味に対する探究心は健在だったという。栄町が風俗街ではなく昭和レトロの飲み屋街として有名になったその背景に、美也子さんのような努力がひと役買っていることは間違いない。

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