48万部『応仁の乱』著者が「鎌倉殿の13人」クライマックスの楽しみ方を解説 北条政子の政治センス、義時の“気弱エピソード”

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後鳥羽上皇は保身に走った?

 慈光寺本「承久記」によると、院御所に参上した三浦胤義・山田重忠らが御所にこもって最後の合戦をしたいと望んだところ、巻き添えになることを恐れた後鳥羽上皇によって門前払いにされたという。胤義は死に場所を求め、入京した三浦義村の軍勢に最後の戦いを挑み、自害した。山田重忠も激闘の末に自害した。

 朝廷の最高指導者たる後鳥羽院の無責任さを強調する上の逸話は、いささか出来過ぎに思える。

 もっとも、後鳥羽が京方の武士たちを切り捨てて保身に走ったことは事実であろう。「承久三年四年日次記(ひなみき)」などによれば、勅使(天皇の使者)が京都六条河原で鎌倉方と対面し、義時追討命令を撤回すると伝えたという。また京都の治安を守ってくれれば幕府の意向に従うとも語ったという。実質的に全面降伏といえる。

宇治川合戦はドラマで描かれるのか

 この最終決戦を概観して奇妙に感じるのは、本来、京方の中核的な武力として活躍するはずの三浦胤義らの役割が今一つ見えてこない点である。一方、幕府方は総大将の北条泰時が積極的な陣頭指揮によって困難な渡河作戦を成功させた。大将の器量の差が合戦の帰趨を決めたといえるだろう。はたして、宇治川合戦はドラマで扱われるのか。もし合戦シーンがあるなら、そこで泰時がどう描かれるのか見物である。

 ともあれ、承久の乱では、北条政子、北条義時、北条泰時の三人が要所要所で重要な決断を下し、幕府軍を勝利に導き、北条の天下を確立させた。その世の中は、ドラマではどう評価されるのか。歴史学者として最後まで目が離せない。

呉座勇一(ござゆういち)
歴史学者。1980年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。信州大学特任助教。主な著書に『戦争の日本中世史』(新潮選書、角川財団学芸賞受賞)、『応仁の乱』(中公新書、48万部突破のベストセラー)などがある。

週刊新潮 2022年12月1日号掲載

特別読物「48万部『応仁の乱』著者が特別講義 いざ『承久の乱』! 『鎌倉殿の13人』クライマックスを深く楽しむ“見どころ”指南」より

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