2年前に亡くなっていた「白木みのる」さん 本人が語っていた“てなもんや人生”

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 昭和30年代後半から40年代前半にかけ「てなもんや三度笠」で一世を風靡した喜劇役者の白木みのるさんが、2020年に亡くなっていたことが明らかになった。死因などは明らかにされていない。

 120センチの体躯と突き抜けるような甲高い声で異彩を放つも、次第にテレビの舞台から消されていった白木さん。週刊新潮では2007年に本人にインタビューを行い、その「てなもんや」人生について伺った。(以下は「週刊新潮」07年5月17日号掲載当時の内容です)

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「僕ァ、この5月6日で73歳になったんです」

 こう語り始めた白木みのるは、現在、現在、兵庫県芦屋市内の自宅で悠々自適の毎日を送っている。5月6日といえば、ちょうど45年前の昭和37年、大阪朝日放送で「てなもんや三度笠」の放送が始まった始まった日でもある。

「“てなもんや”がスタートして45年、というのは知りませんでしたが、今年、芸能生活60年ということで、CDを自費制作しようと思っています。昔、自分で歌った歌とおしゃべりを入れて、お世話になった人に贈ろうと考えています」

 昭和9年、白木は中海に浮ぶ、島根県の大根島で生まれた。

「今は、松江市に組み込まれましたが、僕が生まれた頃は八束郡八束村といいました。朝鮮人参の栽培と牡丹の花が有名で、今でもゴールデンウイークの頃になると、島中に牡丹が咲いてきれいなんです」

 白木が生まれた頃、父親は満州にいたという。

「向こうで除隊して、そのまま商売をやっていたんじゃないかな。僕も二つか三つの頃、満州に渡ったんです。何度か日本と満州を往復して、小学校2年生ぐらいで島に帰ってきました。日本に帰ってくる時、妹と弟の二人が死んでしまいましたね」

 現在残っているのは、彼と弟の二人だけである。

「自分の寸法が足りないって気が付いたのは中学生の頃ですね。僕は成長期に日本から満州に行ったり、寒い所から急に暖かい所に戻ったりでしょ、食べものも生活も環境もずいぶん変わったんです。病気もよくしましたから、きっとそれでうまく育たなかったんじゃないかね。先天的なものじゃないと思います。親父の背は高かったしね」

 身長はおよそ120センチ。コンプレックスを抱きつつも、一方、その小さい体は強烈な個性を発していくことになる。

「終戦後、親父はしばらく満州に残り、最後の引き揚げ船で帰ってきました。舞鶴港まで迎えに行こうとしたんですが、ウチは貧乏でしてお金がありませんでした。そんな時、田舎の売れないプロのミュージシャンと一緒に流しを始めたんです。私は昔っから歌が好きでして、“仲間に入れてくれますかねェ”と頼んでみたら“入れ入れ”ということになり、島根県内の温泉場を流して回りました。一人がサックス、もう一人はギター、僕は歌でした。一晩に100曲くらい歌うと、のどから血痰が出るんですが、歌わないと金になりませんからねェ」

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