ウクライナで戦死の日本人義勇兵の素顔、知人が明かす 「昔からエアガン、ミリタリー好き」
戦争開始から8カ月半。戦場の墓碑銘に初めて日本人の名が刻まれた。遠く離れたウクライナに果てた28歳はどのような人生を送ってきたのか。
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「ウクライナに行ってたなんて知らなかった。まして亡くなったなんてびっくりですよ」
と語るのは、故人となった義勇兵の知人男性である。
その義勇兵が亡くなったのは、11月9日のこと。迫撃砲の破片が頭部に当たったため死亡したとの報道もあるが、詳しい状況はわかっていない。
戦争当初、ウクライナ政府は世界に義勇兵の参戦を呼び掛け、日本人約70人が応じる意志を示した。後、ウクライナ政府はこれをやめ、日本政府も渡航禁止の措置を取った。「私戦予備・陰謀罪」に当たる可能性もあるが、それでも海を渡った兵は少なからずいると見られていた。
ミリタリー、エアガンが好きだった
彼の名を仮に広岡明夫とすると、広岡氏は1994年生まれ。福岡県の出身で、幼少期を柳川市で過ごした。
「目立ちたがりでしたよ」
とは、小学校の同級生だ。
「授業が終わった後、わざわざ先生の横でお笑いをやったりしてね」
その頃、両親が離婚し、広岡氏は母親の下に引き取られたという。
「そんなこともあり一時は不登校でした」
とは、また別の同級生。
「家にいる時間が長いでしょ。だからゲームをよくしていましたよ。よくやっていたのは『メタルギアソリッド』とか『バトルフィールド』。ミリタリー系の、小学生にはちょっと大人なゲームです。エアガンも好きで、河原に行ってゴーグルを付けて撃ち合ったこともあります。友達をミリタリーショップに誘うこともあったから、やっぱり戦闘系には興味があったんだと思う」
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