ウクライナで戦死の日本人義勇兵の素顔、知人が明かす 「昔からエアガン、ミリタリー好き」

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「真面目な先輩でした」

 地元中学、隣接市の高校を卒業後、陸上自衛隊に応募。長崎県の大村駐屯地の第4施設大隊に配属された。施設大隊とはいわゆる「工兵」に当たり、敵の陣地を破壊したり、進軍用の道路を敷設したりするのが主な任務だ。

 2年を過ごした後、陸自を辞めた広岡氏は、キャリアを生かし、地元の道路舗装会社に勤めたという。

「真面目な先輩でした」

 と振り返るのは、冒頭の知人。彼はこの会社での後輩に当たる。

「いつも一番に出社して仕事の準備をしていました。欠勤どころか遅刻も見たことがなかった。大型トラックが好きで、長距離に乗りたいと2年で会社を辞め、運送会社に転職しました。最後に連絡したのは去年の夏だったかな。お互いに好きなゲームの話で盛り上がって。独身で彼女もいなかったと思います」

「正義の実現」

 広岡氏のFacebookを見ると、トップページにサバイバルナイフの画像が映り、山中でほふく前進をしている本人らしき画像もアップされている。幼少時代からミリタリーへの憧憬は尽きず、その辺りがウクライナへ旅立った理由なのだろうか。

「日本人が義勇兵として戦場に入る場合、理由のほとんどは正義の実現です」

 と言うのは、義勇兵としてミャンマーでのカレン民族解放戦線などに参加した経験を持つ、軍事ジャーナリストの高部正樹氏である。

「亡くなった彼も、苦しめられている人を助けたいという思いでウクライナに入ったのでしょう。義勇兵の遺体は通常、自軍によって回収され、損傷が激しくなければ後方に送られて丁重に埋葬されたり、遺族に引き渡されたりします。今後、戦闘が長引くに連れ、同じような日本人戦死者が出てくる可能性はありますね」

週刊新潮 2022年11月24日号掲載

ワイド特集「善悪の彼岸」より

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