【鎌倉殿の13人】史書では病死…北条義時はどんな最期を迎えるのか

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 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が大詰めを迎えた。第42話まで終了し、12月18日の最終話まで残り6話。好青年から悪党に変貌した主人公・北条義時(小栗旬[39])と鎌倉は今後どうなるのか。史書とこれまでの三谷幸喜氏(61)の脚本から読み解く。

実朝暗殺に黒幕はいたのか

 三谷幸喜氏は大の歴史好きで、NHK内では時代考証を大切にすることで知られる。ストーリーを面白くするために歴史を大幅に改竄するようなことはしない。

「鎌倉殿――」のこれまでの脚本もそう。史書に抗わず、坂井孝一・創価大教授(64)ら時代考証担当者の仮説も重視し、明らかになっていないところは推理している。今後のストーリーも三谷流が貫かれるはずだ。

 それを踏まえた上で今後のストーリーを考察したい。まず源実朝(柿澤勇人[35])が甥で鶴岡八幡宮別当の公暁(寛一郎[26])に殺された件はどう描かれるのか。ディティールは史書で分かっている。1219年1月、雪の夜のことだ。問題は背景である。

 実朝暗殺には黒幕が存在したのか。存在したのなら狙いは何か。黒幕については諸説ある。主なものは2つ。公暁の乳母夫の三浦義村(山本耕史[46])黒幕説と北条義時黒幕説である。

 やはり鎌倉時代前期を舞台にした1979年の大河「草燃える」の原作のひとつ『炎環』(永井路子作)の場合、義村黒幕説を採用した。永井氏の調査と研究は綿密で、日本中世史研究の大家だった東大名誉教授の故・石井進氏ら多くの歴史学者たちも義村が黒幕の可能性を認めた。

『吾妻鏡』によると、公暁は暗殺実行後、乳母夫の義村を頼り、自分の将軍就任の段取りを頼んでいる。ここに永井氏は着眼した。

 義村は公暁に、実朝と義時を同時に討たせ、一方で自分は義時邸を襲おうとしていたと永井氏は結論付けた。成功したら、操りやすい公暁が将軍に就き、義村は義時に変わって権力を握れる。

 だが、義時にかわされる。公暁は間違えて実朝の侍読(教育係)・源仲章(生田斗真[38])を殺してしまった(天台宗僧侶・慈円の史論書『愚管抄』)。

 義時暗殺に失敗したため、義村は口封じのために公暁を殺したのだと永井氏は読んだ。実朝暗殺の後、義時は義村に公暁を殺すよう命じており、永井氏の読み通りなら、義時の命令は渡りに船だっただろう。

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