身長143センチのメッシにベットしたバルセロナのすごみ 代表で輝けない理由はクラブと代表の「サッカー観」の違い?(小林信也)

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 リオネル・メッシを知った時、私を驚かせたのは少年時代のエピソードだった。4歳でサッカーを始めたメッシは「10歳までの6年間で500ゴールを決めた」という伝説の持ち主だった。ところが、成長ホルモンの分泌異常が判明し、「適切な治療を続けないと成長しなくなる」と診断された。成長ホルモン投与の治療は高額だ。アルゼンチンの経済事情もあって医療保険が打ち切られると、治療はままならない状況になった。

 転機は13歳の時だった。

 メッシ少年のビデオが代理人経由でFCバルセロナに渡り、テストを受ける機会に恵まれた。メッシのプレーを見た監督はすぐに才能を見抜き、採用を決める。そして、「家族そろってバルセロナに移住するなら、治療費を全額チームが負担する」と約束した。

 この慧眼と行動に私は衝撃を受けた。長く接してきた野球界にはない常識に思えた。小学生の頃、怪物と呼ばれた野球少年の多くが、他の選手の成長に飲み込まれ精彩を失う。成長が早いだけで怪物と呼ばれる少年が少なくない。だから、日本の野球界では13歳の才能を見抜く自信も責任も持たない指導者が大半だ。それなのにサッカー界には、13歳のメッシの才能をひと目で見抜く見識がある。一体、メッシ少年の何を見たのか? サッカー界にはどんな知恵があるのか? それが知りたかった。当時のメッシは身長143センチ、体重35キロ。しかも病気でそれ以上成長しないリスクさえ抱えていた。その治療費と完治しない不安まで負担してFCバルセロナは才能に投資をしたのだ。

 野球に限らず、才能を見抜けない、埋もれた原石を支援できない日本社会にずっとジリジリしてきた私にとって、その逸話は別世界の夢物語そのものだった。結果メッシはサッカー界を代表するレジェンドになる。4年後、ラ・リーガにデビューする時、身長は170センチになっていた。そして17歳10カ月、チーム史上最年少で初ゴールを決めた。

バロンドール7回受賞

 メッシを「当代最高のサッカー選手のひとり」と呼んで異論はないだろう。もちろんクリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)もいる。今季はマンチェスターシティーに若き怪物アーリング・ハーランドも出現した。13試合で20ゴール、ハットトリックも3度記録した新星の登場は、新旧交代の波を感じさせるが、それでメッシの輝きが薄らぐわけではない。

 11月20日からW杯カタール大会が始まる。ノルウェーのハーランドが出場できないのは残念だが、「最後」といわれる今大会でメッシはアルゼンチンにジュール・リメ杯をもたらせるか。

 FCバルセロナではリーグ優勝10回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝4回、FIFAクラブワールドカップ優勝3回など数えきれない栄光を収めた。個人でもバロンドール(年間最優秀選手)計7回、ワールドイレブンに14回選ばれている。だがW杯の優勝がない。過去4回出場し、最高は2014年ブラジル大会の準優勝。この時は7試合で4得点を挙げたが決勝ドイツ戦では無得点。1986年メキシコ大会でアルゼンチンを優勝に導いたマラドーナにその点でまだ肩を並べられずにいる。

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