「自分は人殺しと一緒です」無実を確信しながら死刑判決を書いた裁判官の告白【袴田事件と世界一の姉】

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 1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社の専務一家4人が殺される「袴田事件」が起きた。この事件の犯人として死刑判決が下った袴田巖さん(86)が再審無罪を求める冤罪事件を追った連載「袴田事件と世界一の姉」の26回目。半世紀前、静岡地裁の3人の裁判官の中でただ1人、無罪を主張した熊本典道氏(1938~2020)。袴田事件で死刑判決を下したことを悔やみ、1969年に裁判官を退官、苦しみ抜いた流転の男は、約40年後、裁判官の守秘義務を破り「無実だと確信していた。...

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