緊急手記・水道橋博士の休職について思うこと(ノンフィクション作家・細田昌志)

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れいわ支持者からの批判

 批判的意見もわからないでもないが、穿った見方をすれば、あの時点で、れいわ新選組の中で全国的に知名度のある比例候補者は、水道橋博士ただ一人だったことも事実である。出馬が噂された鳩山由紀夫元首相の線が消え、代表である山本太郎自身が東京選挙区から出馬するにあたって、3年前の旗揚げ時のように全国を飛び回ることが不可能となった今回、もし、水道橋博士が出馬を決断していなかったら、ここまでれいわの比例票が掘り起こされたかどうか。

 そういった周囲の状況を鑑み、何をどうしても、政治家として「結果」を出そうと躍起になるのは、彼の気質を思えば当然だったに違いなく、そのことは、筆者の耳にも入っていた。一方、それが負荷となり精神疾患を患ったことも察しがつく。同様の症状で長期休養した過去があったからだ。

 また「辞職」を申し出たのも、思い当たるふしがないでもない。と言うのも、当選直後のインタビューでも明かしたように「自分の名前で議席が取れたら、すぐに他の比例候補者に議席を譲って、自分は大阪市長選に出ようと思っていた」という“秘策”があったからだ。筆者はまともに取り合わなかったが、今にして思えば、ある段階まで彼はそうしようとしていた形跡がある。「今こそ、そのときが来た」と実行に移そうとしても不思議はない。

議員の職を辞する理由はどこにもない

 しかし、山本太郎代表はその申し出を受理しなかった。つくづく「よかった」と胸を撫で下ろす。

 現在、精神疾患を患う人の数は年々増え続け、それが一因となって、退職のみならず、自殺に追い込まれる人も後を絶たない。もはや、うつ病は“国民病”と言っていいのではないか。社会及び国民にとって規範的存在である政治家が、精神疾患で退職したとなれば、それが一個の事例となって波及するのは必至である。国民が政治家の在り様を見て判断を下すのは、今に始まったことではないからだ。それを思うと、統一教会との癒着が報じられ、いくつもの物的証拠が挙げられながら「記憶にない」と居直り続けた山際大志郎前経済再生相の対応は、政治家としても規範的存在としても適格とは到底言えまい。

 なお、閣僚が健康を害して職を辞することはこれまでもあった。例えば安倍晋三元首相も第一次政権時に首相の座から降りたのは、健康上の理由だったのは記憶に新しく、そのことを例に挙げて「安倍さんだって辞めたのだから、水道橋博士も辞めろ」といったような投稿もSNSに散見される。一見もっともなようだが、彼らは重要な点を見落としている。

 安倍元首相に限らず閣僚を辞任した政治家は、閣僚のポストを手放しはしても、現職議員の立場は維持し続けてきたことだ。前出の山際前経済再生相も大臣のポストは手放したが、今も衆議院議員の座にある。それどころか、この原稿を書いている11月2日午前「新型コロナウイルス対策本部長」への就任が発表された。統一教会との関係を清算するどころか、謝罪すらしていない彼がである。同列に論じる問題とはまったく思えないが、健康を害した水道橋博士が議員の職を辞する理由はどこにもないのではないか。

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