山際前大臣に続き「辞任ドミノ」が始まる? 候補として名前が挙がる5人とは

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甘利前幹事長は山際留任を直談判

 官邸が決断に踏み切れなかったのには、さらにもうひとつの要因がある。甘利明自民党前幹事長(73)との関係だ。自民党関係者の話。

「山際氏は、自身と同じ神奈川県の選出で所属派閥・麻生派の幹部、甘利氏が後ろ盾です。甘利氏は昨年の総裁選では、麻生派でありながら、岸田陣営の選対顧問を務めた内閣誕生の立役者。岸田総理は“山際留任”を直談判してきた甘利氏を慮って山際氏を切れなかったという側面もあるのです」

 そんな前幹事長をもってしても、山際前大臣を守れなくなったのは、

「官邸が答弁を見て、これでは審議は到底乗り切れないという判断に傾いたから。最終的には、総理が外遊先で更迭を決断し、日曜日に官邸は具体的な更迭の準備に入った」(同)

 結局、教団との関係を認めてから76日間、醜態をさらしつつ、その座にしがみつき続けたことになる。

「こんなに批判されるなら、辞めても構わない」

 周囲にそう嘯(うそぶ)いていたこともあったというが、自ら積極的に身を処すことはついになかった。

 山際前大臣はなぜここまでポストに執着したのか。理由は彼の来し方にある。

山際前大臣の原点

 1968年、東京都小金井市に生まれる。両親と兄の4人家族。父親は東大卒で古河電工などを経て、経営コンサルタントとして独立し、複数の著作もある。

 山際前大臣をよく知る人物が次のように言う。

「山際さんは幼い頃に小児喘ぜんそくを患った関係で、体があまり丈夫ではなかった。いじめにも遭っていたそうです。一家が鎌倉に引っ越したのは、彼の療養のためだったと聞いています」

 鎌倉市内の公立小学校を経て、同じ地域の公立中学校に進んだ。

「頭は良かったと思います。でも、ちょっととっつきにくい雰囲気で。友達が少なくて、一匹狼のタイプでした」(中学校の同級生)

 その後は故・石原慎太郎氏などが輩出した名門、県立湘南高校に進学した。高校時代の同級生が語る。

「柔道部に入っていて、放課後になると、いつも校内を道着で行き来していたような記憶があります。外国人みたいに彫りが深くて派手な顔立ちですから、そこそこ目立ってはいました。わりと活発な連中とつるんでいましたね」

 ちなみに、格闘技はお好きなようで、今も空手に打ち込んでいる。

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