ウィンブルドン最多優勝・ナブラチロワ ヨネックスとの知られざる秘話(小林信也)

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デカラケを選択

 マルチナが選んだのは意外にも、いちばんサイズが大きく、スイートスポットの広い“デカラケ”だった。木製のフェイス面積68平方インチより遥かに大きい99平方インチ。

「デカラケは一般ユーザーが使うイメージだったから驚きました。古い考えにこだわらない人だとすぐにわかった。後に本人からその理由を聞いていっそう納得しました」

 デカラケを選んだ理由を彼女はこう語った。

「あのころウィンブルドンの芝は今ほど整備が行き届いていなかった。日程が進めばさらに荒れる。ネットに出てボレーで向こうのコートにバウンドさせたら、相手はまず返せない。とにかく安定してボレーのできるラケットが欲しかった」

 ラケットを変えた82年から87年まで、マルチナはウィンブルドンで6連覇を飾る。83年から84年には四大大会6連覇も達成した。

 ところが、シュテフィ・グラフが台頭し、四大大会で彼女に苦杯を喫すると、マルチナはグラフと同じ会社のラケットを使い始める。

「勝つために最善の方法を選ぶ。そうでなければ世界のトップではいられない」

 米山勉が理解を示す。ヨネックスもまた世界一を争う覚悟で戦っているからこその理解なのだろう。やがてまたヨネックスに戻ってきた。

「最後にウィンブルドンで優勝した時に使ったのはうちのラケットでした」

 義理人情ではない、冷徹、苛烈な勝負の世界を生き抜いたのがマルチナ・ナブラチロワだった。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2022年10月13日号掲載

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