ウィンブルドン最多優勝・ナブラチロワ ヨネックスとの知られざる秘話(小林信也)

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キング夫人との交流

 天才少女マルチナはその才能を存分に輝かせるため、祖国の政治体制を乗り越える宿命があった。75年、10代の終わりにチェコスロバキアからアメリカに亡命。自由な挑戦を始めた。そして3年後の78年、ウィンブルドン選手権の女子シングルスで初優勝を飾る。21歳での戴冠。だが、四大大会で圧倒的な強さを発揮し始めるのはさらに4年後、82年になってからだ。

 アメリカに渡った当初は、ビリー・ジーン・キング夫人とのダブルスで実績を積んだ。テニスの女王との交流は彼女にさまざまな成長と恩恵をもたらした。その重要なひとつがラケットだった。

 80年に契約していたラケットメーカーが倒産。次に使うラケットを探しあぐねていた時、キング夫人から紹介されたのがヨネックスだった。当時ヨネックスはテニス界ではまだ無名。創業者の米山稔がアメリカ出張中にテレビで見て惚れ込んだキング夫人に直談判した逸話がある。その話を私は米山から直接聞いた。

「キング夫人に契約を申し込んだら、彼女に言われた。『ミスター・ヨネヤマ、この2本で私がサービスを打つとそれぞれ秒速何メートルのスピードが出るか?』と」

 当時使っていたメーカーとヨネックスのラケットを手に、キング夫人に問われた。米山は答えに窮した。「そんなことも知らずに私と契約したいと言うの?」、彼女はピシャリと言った。が、米山はあきらめなかった。改良した試作品を送っては助言を受けた。数年後ようやくキング夫人が首を縦に振った。そして、すでに全英王者になっていたマルチナも紹介された。その時の話は、米山の長男・勉(現ヨネックス会長)に聞いた。

「ナブラチロワと80年に契約した当初はまだ木のラケットを使っていた。ところが世界ランキング1位から3位に落ちた。まずいなと思って、うちにあるラケットを全部送って、選び直してもらったのです」

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