ヨーロッパから帰国して改めて感じた「日本のコロナ対策」の異常性 「人それぞれ」が許されない社会(古市憲寿)

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 日本の空港から国際線に乗ると、スマートフォンを含めて時計を渡航先の時間に合わせる。時差ぼけ対策に使われるテクニックの一つで、あらかじめ身体を慣らしておくのである。

 2年半ぶりなのに、その習慣を覚えていたことに少し驚く。というわけで、久しぶりにヨーロッパへ行ってきた。メディアで報じられている通り、日本より一足先にコロナからの日常を取り戻している地域が多い。

 たとえばノルウェーでは、今年2月に正常化宣言が出され、全てのコロナ規制が撤廃されている。街中でマスクはまず見かけないし、レストランでも誰もアルコール消毒などしない。

 そもそもノルウェーの場合、コロナが流行していた時期でも、マスクに対する態度が日本とだいぶ違った。たとえば僕の友人の保育士は、マスクを着けるなと指導されていたという。子どもとのコミュニケーションでは、顔が見えることが発育上重要というのが理由だ。小中学校などでも、教師は授業中、マスクを外すことが推奨されていたという。顔が見えることによる教育効果と、マスクの感染予防効果をてんびんにかけた場合、前者のメリットが上回るとの判断があった。

 ドイツでは州ごとに方針が違うのだが、僕が訪れたハンブルクでは公共交通機関内ではマスク着用が義務付けられていた。罰金もあるので、多くの人がルールに従っている。街中のいたるところにアルコール消毒器も設置されていた。8月半ばの時点で陽性者の隔離義務もあり、欧州の中では慎重な政策を続けている。

 そんなドイツでさえ屋外でマスクをしている人は、ほとんどいない。「ハンブルガードーム」という移動遊園地が開設されていたのだが、隅田川花火大会ほどの混雑ぶりなのに、マスクはほぼゼロ。

 ロンドンやパリも訪れたのだが、コロナに対する警戒感は人それぞれだった。ほとんどの人は、もはやコロナなどなかったかのように暮らしている。ニュースにもならない。一方で、街中でマスクをする高齢者もいたし、ビニールシールドで運転席と客席を区切っているUberもあった。

「人それぞれ」というのは、自由主義の国において健全なことだ。公衆衛生の名の下に、人々の私権が制限されるのは、極めて限定的な状況でのみ許される。

 日本に帰ってくると、まるでパラレルワールドに飛ばされたかのような錯覚を覚えた。空港では物々しい防護服をまとった職員が検疫に当たる。同じ2022年夏とは思えない。MySOSというアプリを使ったので入国自体はスムーズだったが、驚いたのはスタッフの多さだ。ヨーロッパと比べて人件費が安いからだろうが、とんでもない数のスタッフが検疫の各ステップにいる。もちろんマスクはしているが、コロナの流行を止めるために人間を集めるというのが、いかにも日本的。せっかく自動化された出入国審査や税関検査も、丁寧に人間がサポートしてくれる。日本が異質なのはコロナ対策だけではなかった。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2022年9月15日号掲載