日本人が見た「ドネツク人民共和国」 ロシア併合を目指す親露派首長の肉声、故郷の再建を望む青年の苦悩

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 モスクワにある日本大使館に「おとなりさん」ができた。日本大使館前の道路を挟んだ向かいに「ドネツク人民共和国」大使館が正式オープンしたのである。現地での戦闘が激しく、大使館は避難者のサポートに追われ、祝賀セレモニーは行われなかった。【徳山あすか/ロシア在住ジャーナリスト】

 ドネツク人民共和国は、2014年5月にウクライナ東部ドネツク州の約3分の1にあたる地域(最大都市ドネツクを含む)で親露派が独立宣言したことにより誕生。人口は約220万人で、州全体の半分にあたる。ウクライナの管轄下から外れた後、誰からも国として認められないまま8年が過ぎ、とうとう今年2月21日にロシアがドネツク州の「全域」を共和国とみなして独立を承認した。5割がウクライナ人、4割がロシア人だが、ロシア語を母語とする人が7割以上を占める。この州を共和国として認めているのは、国連加盟国の中で、ロシア以外ではシリアと北朝鮮だけだ。

ロシアからの援助

 在露ジャーナリストの私は6月中旬、ドネツク中心部に数日滞在していた。町中のそこかしこで、バラが咲き乱れていた。公園ではおばあちゃんたちがおしゃべりしながら花や自家製の食品を売っており、のどかな風景が見られた。

 その一方、見るのも痛々しい学校の爆破跡があったり、滞在中にリアルタイムで市場にミサイルが打ち込まれて一般人が亡くなったりと、普通の日常の中に危険が共存していた。道路標識はウクライナ語と英語だったが、バス停はロシア国旗色に塗られており、ちぐはぐさを感じた。ドンマックという名前のファーストフード店があったのには笑ってしまった。「ドンバス」と「マクドナルド」を掛け合わせたのだろう。

 ドネツクからバスで2時間以上かけてマリウポリに向かい、共和国首長のデニス・プシーリン氏に会った。2月21日、ロシアがドネツク人民共和国の独立を承認した段階では、ドネツク州南部に位置するマリウポリは実際の支配地域に入っていなかったが、アゾフスタリ製鉄所をロシアが制圧した今では、実質ともに共和国の一部となった。

 酷暑のマリウポリ港で取材に応じたプシーリン氏は「破壊されたインフラの再建にロシアからの援助を受けている。建物にしても、部分的な交換ですむのか、完全に撤去して建て直した方が良いのか、個々の物件を専門家に判断してもらうだけでも時間がかかる」として、町の再建が容易でないことを示唆した。このとき、マリウポリの戦闘で亡くなった人たちは、十分な数のお墓もなく、浅いところに埋められており、所定のマニュアルに従って埋葬し直されている最中だった。

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