巖さんの実家で発見された「とも布の謎」 弁護団「痛恨のミス」を検証【袴田事件と世界一の姉】

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先に上がり込んでいた松本久次郎警部

 ともさんが立ち会った家宅捜索に話を戻す。

 岩田警部補は、あたかも自分1人で捜索して、とも布を見つけたように報告書に書いているが、それは嘘だった。到着した時にはすでに松本久次郎警部がいたのだ。巖さんの取り調べの中心を担った男だ。岩田警部補は松本警部に「タンスの引き出しを調べてみたらどうか」と言われて、調べたらとも布が出てきた。岩田にはそれが何かはわからなかったが、松本警部が寄ってきて「『5点の衣類』の端切れに違いない」と囁いた。

 捜索令状の許可は、バンドと手袋の捜索が名目である。「バンドと手袋がないか?」と、いかにも前年の捜索の「やり残し」を装った捜索は、30分も経たずに終わった。

 山崎さんによれば、実家を捜索した岩田警部補は後年、「俺が来ることになっているのに、なんで先に松本が来ているんだと思った」と漏らしていたという。岩田警部補は捜索当時、証拠を捏造することは知らなかった。奸計も「まずは身内を欺け」が鉄則だ。

「日弁連の弁護団とは方針をめぐって対立した安倍治夫弁護士と一緒に、平野さんが巖さんの支援活動をして独自に証言などを集めていたんです。その時、岩田さんは正直に、当時のことを話してくれたそうです」(山崎さん)。

「平野さん」とは、この連載の16回目に紹介した「袴田巖さんの再審を求める会」の代表だった平野雄三さんである。平野さんは、職場にある豚の屠殺体を使って、巖さんが犯行に使用したとされるクリ小刀で突き刺す実験を行い、クリ小刀で4人も殺すことは不可能と実証した。しかし、巖さんの釈放を見ることなく2006年に他界した。

 山崎さんが続ける。「平野さんが詳しく聞こうとしたら、高齢の岩田さんは『年金とかに影響する』とか言って逡巡したそうです。平野さんはやり取りを録音したのですが、テープは行方不明になり、裁判には出せなかった。でも、一次再審請求審の即時抗告では経緯を書いた書面を出しています」と話す。残念ながら裁判所では一顧だにされなかった。

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