巖さんの実家で発見された「とも布の謎」 弁護団「痛恨のミス」を検証【袴田事件と世界一の姉】

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 1966(昭和41)年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社「こがね味噌」の橋本藤雄専務一家4人が殺害されたいわゆる袴田事件の犯人とされ、強盗殺人罪で死刑が確定した袴田巖さん(86)。無実を訴える再審請求審が今、東京高裁で進む。連載「袴田事件と世界一の姉」第23回では、犯行時の着衣とされた「5点の衣類」に関わる「とも布の謎」を見てゆく。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

母ともさんだけが対応した家宅捜査

 事件翌年の1967年8月31日、こがね味噌の味噌タンクから発見された「5点の衣類」。これを犯行時の着衣とした静岡県警清水署の捜査本部は、巖さん所有の衣類であることを示さなければならなかった。そこで警察が工作したのが「とも布」である。

 とも布とは、購入したズボンを脚の長さに合わせて裁断する際に出る、布の切れ端のことだ(「端布」などの表現もあるが、ここでは「とも布」に統一する)。まず役にも立たないが、店はお尻のポケットに入れるなどして、たいていは客に返してくれる。捜査本部はここに目をつけた。

 既に静岡地裁での裁判が始まっていた1967年9月12日の午前8時頃、浜北市(現・浜松市浜北区)中瀬の巖さんの実家に捜査員らが訪れ、母・ともさんが応対した。

 当時64歳だった彼女に刑事らは「バンドと手袋があるはずだ」と家宅捜査の執行令状を見せ、勝手に家の中を調べ始めた。ともさんは立っているだけだった。そして岩田竹治警部補が「大発見」をする。タンスの中から、とも布を見つけたのだ。一方、バンドは見つかったが、手袋はなかった。

 当日付けの静岡県警の「証拠品発見報告」を見てみよう。

《本職、昭和42年9月12日、被告人袴田巖の生家静岡県浜北市中瀬袴田茂治方居宅を捜索したが、午前8時50分頃、同家奥6畳間内北側整理ダンス上段向かって右側小抽出内に、黒色様布片1枚を発見、捜索立会人袴田巖の実母袴田ともに見せると同人は、これは厳のもので厳がこがね味噌の葬式の時、使ったものではないかね、と言い、被告人のものであることを申立てた。
二、
同布片は、昭和42年8月31日清水市横砂374の1株式会社王こがねの味噌工場1号タンク内より発見された黒色様ズボンと同一生地同一色と認められ、前記ズボンの寸をつめて切り取った残り布と認められたので、捜索責任者当課*務司法警察員 警部松本久次郎に報告し、立会人袴田ともから任意提出をうけ、これを領置することとしたので報告します》

「領置」とは、被告人(被疑者)などの遺留物、または所有者などが任意で提出した物を裁判所や捜査機関が取得、管理すること。強制的な押収ではない。まだ鑑定をしたわけでもない発見日に、こう記録してある摩訶不思議。報告には、とも布が見つかったとされる抽出と整理ダンスの写真が添えられている。

 巖さんが逮捕された後、従業員寮の同僚が巖さんの荷物を実家に送ってきた。警察・検察は「とも布はその荷物に入っていて、ともさんがタンスにしまった」とした。

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