神戸山口組のナンバー2の寺岡若頭がついに脱退 井上組長が絶縁処分を通達

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さらなる脱退希望者の名が

「俠友会が本部を置く淡路島に彼らは根を張り、社会にも溶け込んでいるので、彼らだけがシノいで行くぶんには何ら問題ないと聞いています。しばらくは一本独鈷(独立組織)として行動し、しかるべきタイミングで寺岡若頭は引退し、残った面々を6代目山口組傘下に移籍するように手はずを整えると見ています。寺岡若頭を除けば、6代目側と盃を交わしている者はいないはずなので、そういった動きに障壁はないでしょう」

 他方、「ど真ん中で支えてきた」というナンバー2を失った井上組長としては、まさに崖っぷちの状況だろう。

「もう1人の最高幹部である入江禎副組長が率いる2代目宅見組も、配下に抱える組員は30人くらいとされており、神戸山口組全体で見ても200人程度ではないかと見られます」

 この他にも、神戸山口組を脱退したいという直参の名が複数あがっていることもあり、櫛の歯が欠けたような状態で、勢力のさらなる弱体化が囁かれる状況だ

「寺岡若頭は、5代目山口組の宅見勝若頭にヒットマンを向かわせた中野会の中野太郎会長に引退の引導を渡した張本人です。当時、寺岡若頭は6代目山口組の若頭補佐でしたが、人生において1度ならず2度までも、組織や組織にいた人間に引退を進言するとは、皮肉な役回りだなと感じましたね」

 神戸山口組の設立は2015年8月27日とされている。山口組の分裂から7年目の夏に、また1つ大きな動きがあったことは間違いないだろう。

デイリー新潮編集部

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