日本は「中進国」に成り下がった? 給料を上げる“逆転の一手”とは?

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所得は韓国以下に

 1980年代半ば、日本経済は絶頂を謳歌していました。GDPは世界の15%を占め、アメリカと合わせて全世界の4割に到達。89年には日本のGDPシェアは、世界の19%を占めるまでになりました。

 ところが、世界トップを争った日本人の1人当たりGDPは、いまでは19位にまで落ち込み、所得は韓国にも抜かれています。なぜこれほど凋落してしまったのでしょうか。

 その前に、日本経済がこれほど隆盛を極めるにいたった経緯をたどってみましょう。終戦後、一面の焼け野原になった日本は、朝鮮戦争による特需を経て、松下幸之助をはじめとする経済人が輩出し、池田勇人政権を迎えます。

アメリカからの手ひどいしっぺ返し

 当時、同じ敗戦国であるドイツの経済が成長していました。吉田茂内閣で大蔵相や通産相を務めた池田総理は、徐々に回復する世界の経済をよく観察し、敗戦国でも立て直せるのだ、という希望を見出したことでしょう。事実、アメリカは日本からの輸出を盛んに受け入れていて、池田内閣時代、経済界のブレーンたちは、この輸出量の伸びに目をつけました。

 当時は人口の6割が農業に従事し、農協にお金を預ける人が多かったので、まず農協→協同組合→信用金庫→地方銀行→都市銀行→政策銀行へと、投資の元手となる資金を吸い上げました。そのうえで、石炭産業から機械産業へと産業を高度化し、輸出産業を成長させたのです。

 池田氏によるこの「所得倍増計画」は国家主導の経済戦略でした。しかしながら、こうして成長が加速した日本は、輸出偏重となった結果、「Japan Inc(日本株式会社)」と呼ばれ、強い非難の対象になります。機械、自動車のほか、半導体までアメリカ市場を席巻した日本は、得意の絶頂にあったあまりにおごりがあったのかもしれません。

 こうしてアメリカから手ひどいしっぺ返しを食らいますが、それは「腰骨を折られ、頭蓋骨を叩き割られた」と例えられるほどの、厳しいものでした。

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