日本は「中進国」に成り下がった? 給料を上げる“逆転の一手”とは?

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萎縮してしまった日本

 日本経済が凋落する原因となったアメリカの「しっぺ返し」の一つは、1986年に締結された「半導体協定」でした。

 アメリカでは古くからシリコンバレーが半導体の生産基地で、軍隊の後押しもあってその地位は世界でも圧倒的でした。そこにアメリカの予想に反して、日立製作所や東芝などの日本企業が、品質がよく価格も安い半導体を引っ提げて参入してきました。日本の半導体の競争力は最強で、結局、そのシェアは、80年代半ばには世界の半分を占めるまでになります。

 するとアメリカは、日本は補助金などによって不当に価格を下げている、異常な競争環境を作ってアメリカの半導体を売れなくしている、と難癖をつけてきました。そして、日本の半導体市場において外国製品のシェアが20%を超えるように求め、また、日本製の半導体の価格や輸出入量に制限をかけ、違反した企業には何千億円という課徴金を科したのです。

 日本の半導体産業が成長したのは、地道に努力を続けたからです。それを不当だとしたアメリカのほうがよほど不当だと思いますが、とにかく、アメリカによる市場への強烈な介入の結果、日本の企業も政府も萎縮してしまいます。以来、日本が得意とした産業政策は死語になり、復活していません。そして日本の半導体の世界シェアは、いまではわずか1割ほどです。

アメリカによる為替レートの操作

 85年の「プラザ合意」も日本経済を凋落させたしっぺ返しの一つです。

 当時の日本は「どしゃぶり輸出」と非難され、アメリカのベイカー財務長官らは、日本の輸出超過の原因は円安ドル高にあると考えました。政治家の為替レートへの口出しはタブー視されていますが、ベイカー氏はお構いなしでした。

 ニューヨークのプラザホテルでの会合に際し、ベイカー氏は列席したイギリスとフランスに、為替レートを下げるよう事前に根回しをしていました。ですから当時の竹下登蔵相がホテルに入り、サインをしてホテルを出るまで、15分ほどしかかかっていません。その様子がニュースで流れると、市場は即座に反応して為替レートは急落し、1ドル約220円が一気に約150円まで下がりました。

 当時の日本政府は、日本を「中小企業が多く集まった国」と認識しており、急激に円高が進むと、輸出ができない中小企業が破綻すると考えました。だから需要を国内に作り出そうとして、財政出動し、金利を大きく下げたのです。

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