水谷豊が明かす“寺脇降板”秘話 「いつまでも居ちゃだめだ」とアドバイスした理由とは

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寺脇降板の真相

「寺脇は僕が『刑事貴族2』(日本テレビ・1991~92)に出演したときに、初めて共演したんですね。彼と仕事をしている間、とにかく楽しくて、それが印象に残っていた。だから、『相棒』の松本(基弘)プロデューサーと誰を相棒にするかと話し合ったとき、最初に寺脇の名前が出てきて、すぐに決まりました。まったく迷わなかった」

 寺脇は水谷が10代の頃、「バンパイヤ」(フジテレビ系・68~69)に主演していたときからのファンで、水谷の出演作品をほとんど観ていた。

「僕ね、実は『相棒』がシーズン化される前に、松本プロデューサーと輿水さんに『これはシーズン5までやることになる』と話していたんです。二人とも、まだ撮影が始まってもいないのに何を言っているのか、という顔だったけど、それから5年経っても終わる気配がない。で、そのときにね、寺脇と『この相棒で映画をやろう』と話した」

 水谷は映画ができるまではシーズンを引っ張ろうと考え、時機を待った。実現したのが「絶体絶命! 42.195Km 東京ビッグシティマラソン」(和泉聖治監督・2008)である。

 寺脇と組んだシーズン開始から、6年が経っていた。

「映画をやって、それがヒットして、いい成績を残した。その後、寺脇に、『このまま番組を引っ張っていると、僕の下でずっとやっていくことになるぞ』と伝えたんです。『今出れば、『相棒』の勢いがあるから他で主役ができる。だから、いつまでも居ちゃだめだ』と。本人も主役を望んでいただろうし、僕もいつか寺脇を主役にしてあげたい、という気持ちがあったんですよ」

釈然としない様子だった寺脇

 寺脇は先の映画で、第32回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。脚光を浴びていた時期だった。

「『相棒』が駄目になってから出たのでは、チャンスが少なくなるでしょ。慣れたこの環境に安住しない方がいいと思った」

 そのときの寺脇には、水谷の気持ちが理解できなかった。釈然としないまま、番組を降板した。

「のちに寺脇が、なにかで話していましたね。『あのとき豊さんが何でそんなことを言うのか分からなかったけど、後で分かった』と。寺脇は辞めたくなかったかもしれない。だけど僕は『主役をやれ。主役として責任を背負う経験をするのは、役者にとって大きなチャンスだ。新しく見えてくるものが必ずあるから』と伝えた」

「相棒」を降板してからの寺脇は活躍の場を広げ、さまざまな映画やドラマ、舞台に出演。他局のシリーズ作品で主役を務めている。

 今回の異例ともいえる「相棒」再登場には、「主役を演じることで成長してほしい。新しい世界をみて、また戻ってきてほしい」という14年前の水谷の気持ちが反映されているのだ。

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