東国原英夫氏が宮崎県知事選に再出馬 昨年は福岡県知事選も検討「今更なぜ」の事情

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「宮崎を捨てたがねとか、宮崎を踏み台にしたがねというお叱りの言葉が重い十字架として僕の中にのしかかっていた」。8月17日、宮崎県知事選への出馬表明をした東国原英夫氏(64)の言葉である。12年ぶりの“出戻り出馬”に、周囲からは「なぜ今更」の声が飛び交う。確かにこの間ふらふらと渡り歩いてきた東国原氏の軌跡を振り返ってみると、「重い十字架」という言葉も軽く聞こえてしまうのである。

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「自分を自民党総裁候補に」と豪語していた

「どげんとせんといかん」

 2007年から始まった東国原フィーバーは凄まじかった。「宮崎県のセールスマン」と名乗り、連日のように公務の合間を縫い潜ってテレビ出演。人気はうなぎのぼりで、任期半ばの09年、当時自民党の選対委員長だった古賀誠氏から党の目玉候補として衆院選出馬を打診されたほどであった。その際、東国原氏が出した条件は「自分を自民党総裁候補とすること」。そんな上から目線が通用するほど、彼は「改革派知事」として注目を浴びていたのである。

 その勢いのまま、11年には一期で宮崎県知事を退任して東京都知事選へ出馬。169万票を獲得するも石原慎太郎氏に負けた。思えばここが絶頂期。翌12年、日本維新の会から衆議院議員へ出馬し当選したが、党内で意見衝突し、1年足らずで離党して議員辞職した。

「思うがまま采配できた県のトップという地位に比べ、組織の中で一議員として動かなければならない立場は面白くなかったのでしょう」(東国原氏の知人)

 その後は、これまでの知名度を生かして政治コメンテーターへ。だが、それもいよいよ先細ってきたようなのだ。

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