中森明菜は今、どうしているのか 実兄は「本当に明菜に会いたい」【スクープその後】

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14年ぶり紅白で漏らした言葉

 明菜というと、「トラブルメーカー」「わがまま」というイメージがある。「明菜のコンサートはやらない」というプロモーターもいる。だが、前出の音楽関係者は「わがままなところがあったのは若い時の話」と解説する。

「20歳そこそこなのにレコードが飛ぶように売れ、賞も取ったのですから、少しくらい居丈高になっても仕方がない。その後、1989年に近藤真彦宅で自殺未遂をして非難されたり、1995年に最愛の母を亡くしたりで変わりましたよ」(同・音楽関係者)

 2002年、「飾りじゃないのよ涙は」で14年ぶりに紅白歌合戦に出場した際、明菜は周囲にこう漏らした。

「昔の紅白はステージ裏でみんながおしゃべりして、お互いの衣装を褒めたりしていた。『これ、いいね』って。今は違う。みんなほかの出演者に関心がないみたい。なんだか淋しい」(明菜)

 ツッパリと言われた1980年代から1990年代前半の明菜だったら、ほかの出演者との親睦など求めなかっただろう。もはや昔の明菜ではない。

 明菜の健康状態が好転したら、各局で争奪戦が起こるのは間違いない。

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 その明菜はいま、所属事務所の社長が所有する都内のマンションで暮らしているという。だが、時間の経過は彼女のみならず家族にも変化をもたらしていた。

 実父が住む東京・清瀬市の明菜の実家を訪問すると、門扉が固く閉ざされていた。

 近隣住民に聞くと、

「最近はお父さんの姿を見なくなりました。昨年の秋には“明菜が元気にやってくれてるといいんですけれど”と話していたのですが」

 明菜の実兄は中森家の近況をこう語る。

「88歳の父はいま入院しています。骨折の治療や認知症も進んでいるため、これ以上独り暮らしをさせられないと、あと3カ月ほどしたら、介護付き老人ホームに入居する予定です。明菜のマネージャーは“(明菜が家族と)会いたくないと言っている”と、母が亡くなった二十数年前から一度も会えていません。互いにいい年になりましたし、本当に明菜に会いたいです」

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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