中森明菜は今、どうしているのか 実兄は「本当に明菜に会いたい」【スクープその後】

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今、どこにいるのか? 結婚した?

 さて、明菜は今、どこにいるのか。人目を避けて海外で療養している?

「国内です。芸能人が近くで暮らしていたって、意外と分からないものです」(レコード会社関係者)

 セキュリティーもプライバシー保護も万全のマンションに住んでいるという。

 活動休止中、秘かに結婚していたなんてことはないのだろうか。

「ありません。予定もない。以前、『結婚は考えてないのですか?』と尋ねたところ、『幸せな明菜ちゃんはファンが望んでいないでしょ』と答えられて、思わず笑ってしまいました。自虐的なジョークが好きなんです」(同・レコード会社関係者)

 活動休止直前の2017年12月のディナーショーでも自虐的ジョークで観客を笑わせた。

「帽子を脱ぎたいけど、帽子の跡がついてるの。だから脱げない。50を超えると大変なの。はたちの時とは違うの」(明菜)

 こういったところもファンが明菜を愛する理由である。

高まる明菜熱

 明菜には「コンサートやディナーショーには必ず行く」というコアなファンが多い。だが、ここにきて広く人気が高まり、カムバックを望む声が強くなっている。

 NHKは「中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版」を7月9日午後4時半から放送した。この放送にも歓迎ムードが高まっている。当初は6月19日に放送する予定だったものの、石川・能登地方を震源地とする地震の発生により延期された。

 明菜熱の高まりについて前出のレコード会社関係者は、「再評価は全く不思議ではないし、懐古趣味でもない」と言い切る。

「シンガーとしての1980年代ナンバーワンアイドルは文句なしに明菜さんですから」(同・レコード会社関係者)

 確かに、1982年5月にデビューした明菜は3年後の1985年には「ミ・アモーレ〔Meu amor e…〕」で日本レコード大賞を受賞した。翌1986年も「DESIRE -情熱-」で同賞を受賞した。

 2年連続の栄冠。こんなアイドル、ほかにいない。一方、なにかとライバル視される松田聖子(60)はレコ大を取ったことがない。

「音楽業界では『聖子さんはうらやましいのではないか』と言われたものです」(同・レコード会社関係者)

 TBS「ザ・ベストテン」(1978年~1989年)での第1位獲得も明菜は計69回で歴代トップ。なるほど実績はナンバーワンに違いない。

「そもそも歌がうまいうえ、表現力が並外れています。声もいい」(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二氏)

 作品にも恵まれた。デビュー曲は来生えつこさん(74)、来生たかお(71)の姉弟が作詞・作曲した「スローモーション」。オリコン最高位は週間シングルチャート30位にとどまったものの、明菜がトップアイドルになった後に再評価される。

 えつこさんは2012年、筆者の取材に対し、こう語っていた。

「『ただのカワイコちゃんアイドルじゃなくて、歌もうまい子だから、メロディラインは難しくても全然かまいません』と依頼されました」(えつこさん)

 アイドルの作品の場合、音域を狭くしたりすることが、よくある。明菜にはそんな配慮が不要だった。やっぱり、うまかったのだ。

 来生姉弟は1982年11月発売の3枚目「セカンド・ラブ」も作った。明菜にとって初のオリコン1位作品となった。

 1982年7月発売の2枚目のシングルは売野雅勇(71)が作詞し、芹澤廣明氏(74)が作曲した「少女A」。不良少女の強さと脆さを表現したロック歌謡で、当時のヤンキーブームにも合った。オリコンで5位となり、明菜はトップアイドルの仲間入りを果たした。

 1984年4月発売の8枚目「サザン・ウインド」以降は1作ごとに作曲者が変わった。この曲は玉置浩二(63)が作った。

 同7月の「十戒(1984)」は高中正義(69)。同11月の「飾りじゃないのよ涙は」は井上陽水(73)。ほとんど歌謡界に作品を提供しない一流ミュージシャンが担当したので、質が高く個性的なものに仕上がった。

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