御巣鷹山「日航機事故」から37年 なぜフジテレビは生存者4人の救出劇を独占生中継できたのか

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新聞界も脱帽、より自信を付けたフジ

 フジに惨敗したことを痛感させられたのは他局だけではない。フジの生存者救出の生中継は1985年度の新聞協会賞(編集部門)を受賞した。つまり「この年の報道の1等賞」と認定されたのである。

 NHKも受賞したことがなく、テレビ局が得るのは初めてだった。それまでテレビ界を見下していた新聞界が負けを認めたのだ。

 同9月20日付の毎日新聞夕刊は「グリコ犯 森永製菓も脅迫」という歴史的スクープを報じたが、それよりフジの生中継のほうが、価値があると判断された。

 前出・フジOBは振り返る。

「テレビ界で初の新聞協会賞受賞で局内は沸いた。局内全体が活気づいた」(フジOB)

 当時のフジが強かったから出来た生中継だったが、一方で生中継の成功によって強いフジがますます勢いづいたのである。

 生中継成功は決してフロックではない。ヘリスターがあったからだけでもない。事故当日の同8月12日夜、民放で真っ先に報道特番を開始したのもフジ。午後7時台だった。

 民放が通常番組から特番に移行するのは簡単ではない。通常番組の全てのスポンサーに許可を取らなくてはならないからだ。だが、フジは緊急事態であると判断し、許可取りを飛ばして、特番にゴーサインを出した。当時のフジは社内全体が柔軟でイケイケだったのだ。

 あの夏、現場からのレポートを行ったフジの山口記者は昨年まで報道局長を務めていた。新人記者が報道局のトップになった。歳月の流れを感じさせる。

 フジの行方を左右するのはマンパワーに違いない。全盛期のマインドを取り戻せるか。それがトップ奪還のカギになるはずだ。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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