新しい「現実」を見据えてイノベーションを起こす――高岡浩三(ケイアンドカンパニー代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

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「なぜ日本でiPhoneが生まれなかったのか」。そんな疑問をよく聞くが、創造性を失ってしまったこの国で、「ゴールドブレンド バリスタ」をはじめ数々のイノベーションを成功させ注目を集めたのがネスレ日本だ。今、そこで生まれた「イノベーション理論」が次世代に受け継がれようとしている。

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佐藤 高岡さんの前職はネスレ日本社長。私にはネスレにまつわる思い出がいくつかあって、まずは「キットカット」の話なんです。私は東京拘置所に512日間入っていました。あそこではバレンタインデーに「キットカット」が出るんですよ。

高岡 本当ですか(笑)。

佐藤 あと二つほどエピソードがあって、母が沖縄出身で、子供の頃に沖縄の親戚から小包が送られてきました。当時、沖縄はアメリカに統治されていました。小包の中身で、母が一番喜んだのがネスレのインスタントコーヒー。輸入品としては、関税がすごく高かったために高級品だったんです。それと私がすごく喜んだのがネスレの「クランチ」というチョコレートでした。

高岡 あの商品は特に沖縄では人気がありました。

佐藤 まだ国内では売っていなかった。それで友達からうらやましがられたんです。今でも、ときどき通販で買ったりしています。

高岡 ありがとうございます。

佐藤 高岡さんはネスレコンフェクショナリー(当時の子会社)のマーケティング本部長の時に、「キットカット」を「きっと勝つ」にかけて受験応援キャンペーンを展開させ、売り上げを伸ばすことに成功した。他にも1杯からコーヒーをいれられるマシン「ネスカフェ ゴールドブレンド バリスタ」を発売して大ヒットさせました。社長にもなって、ネスレの中でも国際的に評価されていた。そこまで評価されたら、普通はネスレという会社に骨を埋めようと考えます。ところが、2020年に社長を退任されて、ケイアンドカンパニーの代表として企業のマーケティング等をサポートしている。最初に伺いたいのは、なぜ独立を選ばれたのか。

高岡 少し話が長くなりますが、それには私の個人的な理由があります。私は10歳の時に父が肺がんで他界したため、以来、母が一人で育ててくれました。就職活動の時は、叔父が電通にいたこともあって、電通からも内定をもらっていたんです。ですが、叔父のコネみたいな形で入社するのに釈然としない思いがあったのと、一方でブランド・マーケティングを大学で齧っていたため、ブランドに興味があった。バブルの前ですが、当時すでに日本人は背伸びしてブランド物を買うようになっていた。

佐藤 私と高岡さんは同い年ですが、田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』が話題になった世代です。彼は当時「岩波文庫とルイ・ヴィトンのバッグは等価だ」と主張した。

高岡 そういう時代でした。私の中では、ブランドの魔力というのはすごく不思議に映っていた。この“ブランド”を自分の仕事にしたいと。それに父だけでなく祖父も42歳の厄年に亡くなっています。

佐藤 私も42歳で捕まった。厄年ってあるんですね。

高岡 父の葬儀の後に、母から「あんたも気を付けなさい」と言われました。自分もひょっとしたら42歳で死ぬかもしれない。だったら、若くても仕事を任せてくれる外資系で勝負しようと。ネスレというブランドで大きな仕事をしてみたいと思った。当時、外資系は全く人気がなかった。大学で勉強のできないやつが行くところだと思われていました。

佐藤 そんなことはなかったと思うけど(笑)。

高岡 いやいや、本当にそうです。外資系の、しかもネスレなんてその頃は行く人間がいなかった。それで、ネスレはスイスに本社のある世界的な大企業で、社員も33万人ぐらいいるのですが……。

佐藤 自衛隊や警察よりも多い(笑)。

高岡 まずそれぞれの現地法人に入社して、優秀な人材は2年か3年で“身分”が変わります。私でいえば「ネスレ日本」に所属しているわけですが、スイス本社に所属するインターナショナル・スタッフにならないかと声をかけられる。それになれば、スイス本社の出世コースに乗れる。私も30代で声がかかりました。ところが、その身分になると、二度と日本に戻って来られない。

佐藤 世界中を回らないといけないわけですね。

高岡 これは日本人だけではなくて、どの国の人も母国には戻れない。要するに他国で一生のキャリアを終えるのです。しかし、私は母を置いて行けなかったので、それを断ってずっとネスレ日本にいました。でも最後は認められて、日本人として初めてネスレ日本の社長を任された。それまでは日本だけではなく、イギリスでもアメリカでも、現地の人は現地法人の社長にはなれなかった。ネスレ日本の社長と共に、スイス本社の役員も兼ねましたが、それもネスレ150年の歴史で初めてでした。

佐藤 そこまでいくと、以後は安定飛行で過ごせてしまう。それでは面白くなかったわけですね。

高岡 あと細かな話になりますが、ネスレは企業年金が充実しているんです。私は60歳の時に「あと社長を5年やってくれ」とスイスの本社から言われました。でも、いい年金をもらいながら働くのは社員の手前よくないという思いがあった。それに自分自身でやりたいことがあったのですっぱり辞めました。これが独立した理由ですね。

佐藤 とてもいい選択ですね。

高岡 実は55歳から今の仕事の準備をしていました。「残ってくれ」と言われたときは、さすがに悩みましたが、初志貫徹でやったことはよかったと思っています。

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