ウクライナ南部、親ロシア派の町は今どうなっているのか? 日本人ジャーナリストの証言

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 私はロシア在住9年、国営通信社に勤務するジャーナリストで、6月中旬にロシア国防省のプレスツアーに参加した。ということでこの文章自体が、日本の大部分の報道とは異なり、ロシア側から見た世界を伝えるものであることを最初におことわりしておきたい。

 ロシアにお膳立てされたツアーに何の意味があるのか? という声が聞こえてくるだろうことは、私もよくわかる。しかし、ロシア側から現場に行く日本人がゼロ、ロシア支配地域に関する日本語の情報は欧米メディアの引用のみ、という状況を打破したかったことと、何よりも自分の目で何が起きているか見たいという気持ちが大きく、参加することにした。本ツアーではロシアの支配下にある多くの地域を回ったが、特にその中でも、ツアー最終日に訪れたウクライナ南部ザポリージャ州の町、ベルジャンスクとメリトポリで見聞きしたことをご紹介する。

 私たち外国人を含む40人ほどの一行は早朝、ドネツク市内のホテルからバスで出発した。ほんの少し走ると、窓は閉まっているのに急に焦げ臭いにおいがしてきた。昨日はこの町に絶え間なく砲撃があり、朝には市場にミサイルが命中して3人が亡くなった。夜には連続砲撃が2時間以上続き、ホテルで夕食の蕎麦を食べているときもよく聞こえた。地元の人によると、この地区がここまで集中して攻撃を受けるのは2015年以来だという。何かが燃えた後のようなにおいはもしかしたらそのせいかもしれない。

7月から給料もルーブルで

 プレスツアーの性格上、行き先は着いてみるまでわからないが、車窓ののどかな景色からして、南に向かっているのを感じた。3時間も走ると、広大な大地にぽつんぽつんと農作業をする人の姿が見えてきた。牛が道路ぎりぎりまで出てきて草を食べたり、小ヤギの群れが寄ってきたりしてとてもかわいい。

 アゾフ海沿岸の町、ベルジャンスクに着いた。快晴で海はきらきら光っており、浜辺にはイベント用のステージがある。朝から気持ちよさそうに泳いでいる女性を発見した。彼女は70歳だというが、健康的でぐんと若く見える。もともとロシアで生まれ育ち、先日亡くなった兄はロシア南部のロストフ・ナ・ドヌーに住んでいたという。「昔は行き来に何の問題もなかったのにね」とソ連時代を懐かしむように思い出話をしてくれた。

 市場には人が集まって、たくさんの野菜や果物を囲みながらわいわいやっている。町は立派だが閑散としているドネツクとはずいぶん違う。散歩する市民の表情は明るく、小ぎれいな一戸建てが立ち並び、建設中の家もある。まさに海辺のリゾートだ。ちなみに廃墟のイメージが強いマリウポリもやはりアゾフ海沿岸の町で、両都市の距離はわずか約80キロ、東京から箱根くらいのイメージだ。

 ベルジャンスクは2月27日の時点で「無血開城」し、ウクライナ軍のいない状態でロシアにあっさりと統治の実権が移った。ロシア側統治の責任者、ベルジャンスク軍民行政長のアレクサンドル・サウレンコ氏は言う。

「この変化を大部分の住民が歓迎していると思います。その証拠として、6月12日の『ロシアの日』に、私たちが今いる海辺の広場に、ものすごい数の市民が集まって祝いました。私たちが何か企画したわけではなく、自発的にです。私の知っている限り、市民は、この先もずっとロシアのもとでやっていくことを望んでいます」

 今年2月段階でのベルジャンスクの人口の内訳は、およそ5割がウクライナ人、4割がロシア人だと言われているが、第二次世界大戦前の記録を見ると、当時は町の人口の8割がロシア人だった。サウレンコ氏は、ベルジャンスク市民がロシアを歓迎するのは歴史的要素が大きいという。

「私自身も地元の人間だからわかりますが、ベルジャンスクという町は伝統的に親ロシアなんです。町の中心には町の創設者ヴォロンツォフ伯爵(ロシア帝国陸軍元帥)の像もあります。ソ連崩壊でウクライナ領になりましたけど、歴史的にはずっとロシア領で、この町にはロシアの精神がずっと残ってきました。ザポロージエなど、州内のウクライナ政権下の町に行った人たちも、最近戻ってきています。この町に来る人の数は、ここから出て行く人の3~4倍くらいです。見てのとおり町は破壊されていません。どちらの生活が穏やかで静かか、人々はわかってきたのでしょう」

 昨今、世界的な食糧不足への不安が叫ばれているが、ベルジャンスクの倉庫には昨年収穫した穀物が大量に残っている。6月中旬の段階でサウレンコ氏は「今年の収穫の時期は間もないので、できるだけ早く在庫をベルジャンスク港から輸出したい」と話していた。

 その言葉通り6月下旬には穀物輸出がスタート。穀物を積んだロシアの貨物船は、ベルジャンスクを出て、黒海に面するトルコのカラス港に一時期停泊していた。ウクライナはそのタイミングで、「穀物はロシアに盗まれたもの」としてトルコに貨物船の拘束を求めたが、7月7日、結局船はそのまま出港した。

 ベルジャンスク市民にとって最も大きな変化は、ロシア通貨ルーブルの導入だろう。サウレンコ氏によると、ロシアからの財政支援を受け、年金と公務員の給料をすでにウクライナの通貨グリブナではなく、ルーブルで払っている。その後、見学した社員50人ほどの小さな工場でも、7月から給料をルーブルで払う予定だという。

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