ウクライナ南部、親ロシア派の町は今どうなっているのか? 日本人ジャーナリストの証言

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ウクライナの携帯電話会社が撤退

 続いて食肉加工コンビナートにやってきた。広い敷地内には、ヘリコプターの発着場やぶどう畑、防空壕などいろいろな施設があって驚いてしまう。作りたてのソーセージを試食させてもらった。やさしい味わいの鶏ソーセージから濃厚な肉の味が感じられる高級燻製まで、どれを食べてもモスクワのスーパーの100倍おいしい。

 コンビナートのトイレで、ツアーメンバーであるオランダの雑誌記者、女性2人組と雑談する。女性は圧倒的に少ないので自然と仲良くなれる。このツアー中に、ドアが開かないトイレ、頑張って閉めても半開きのトイレ、いったん閉めると二度と開かないトイレなど難易度の高いトイレに出会ってきて、その度に助け合ってきたので、私たちの結束は固い。ベテラン記者の方が綺麗な英語で「ここのトイレは最高ね! 男性はどこでもできていいわよね」と冗談を言ってきた。バスの中でオランダ人やアメリカ人の近くに座ると英語のシャワーを浴びるので、この点でも非日常を体験できた。

 製造ラインの見学は人数制限があって入れなかったので、バラが咲き乱れる庭で時間をつぶした。プレスツアーの間は、常に私たちの護衛にあたってくれるロシア軍人がいるのだが、この日は女性を含む数人が追加で来たので、さらに人数が増えた。戦闘で負傷して一時戦線を離れ、最近戻ってきたという人は「突然ウクライナ民族主義者が来てあなたたちを襲う可能性もゼロではない」と真顔で言う。おいしいものを食べてバラにかこまれていると本来の目的を一瞬忘れそうになるが、この会話で現実に引き戻された。

 ベルジャンスクから、風車を眺めつつさらに西へと向かう。広大な小麦畑の中で途中下車した。小麦畑の主人である72歳の男性は、収穫物をどこにやるのか具体的なオファーがないことに不安を感じており、畑で労働者を雇い続けるにも、売り上げの見通しがないと決められないので早くはっきりしてほしい、と話した。

 さくらんぼ畑にも寄った。以前は世界のどこへでも輸出できていたが、2014年以降流通がウクライナ国内のみになってしまい、栽培規模が縮小したという。当局は、今後はクリミア半島を経由し、ロシアやその他の国に輸出するルートができることに期待を寄せている。このさくらんぼも、さっきのソーセージもそうだが、とにかくウクライナは食べ物がおいしい。

 バスはメリトポリ市内を走る。車窓から見える市内の家の多くは普通の一軒家だ。目を凝らしても、攻撃の爪痕らしいものは見えない。市内中心部の勝利広場にやってきた。広場の一角に古びた大きなホテルがある。その前にたたずんでいた男性にホテルは営業中かどうか聞くと「もちろんやってません。戦争ですよ、開いているわけありません」と言う。

 ホテルの向かいにある行政府の建物に入る。入り口には「SIMカード販売、身分証一枚につき5枚まで」という貼り紙がある。聞けば、私たちが訪問した2週間前にウクライナの携帯電話会社が撤退してしまい、全ての携帯が使えなくなった。その後ロシア資本の携帯会社が入ってきて、購入希望者が殺到したという。

 メリトポリの軍民行政府で働く女性は言う。

「携帯が使えないのは本当に怖いので、身体の不自由な人のところに新しいSIMカードを届けに行ったりもしました。あと、携帯と同じタイミングで、ウクライナの銀行も撤退してお金がおろせなくなったんです。今後生活インフラが整ったら、みんなの気持ちも安定して、いろんなことをする希望とかモチベーションがわいてくるんじゃないかと思います。メリトポリはほとんど戦闘がなく権力が移行した数少ない町です。そのことは良かったと思います」

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