生稲晃子がまさかの当選 「秋元康人脈」にはなぜ中毒性があるのか?

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顔より中身のセンター論 「会いたかった」は秋元康の神髄

 誰も見たことがないものを見たい、という秋元氏の好奇心は、坂道系アイドルのセンターにも表れている。平手さんや元AKB48の前田敦子さんが代表例だ。センターに抜擢したのは、ルックスの良さではなく、「爆弾」としてのポテンシャルだろう。不機嫌さや、自分の感情を隠さない我の強さ。アイドルとはいつもニコニコしていること、という不文律を破る存在感。そしてもくろみ通り、彼女たちには絶大な数のファンとアンチがついた。

 本人たちは、自分に自信がないし繊細だと語っている。おそらく彼女たちが不安定に見えるのは、我が強い自覚と、我が強いアイドルなんて好かれないという世間の常識との間で揺れているからだろう。秋元氏は、その揺れを見抜いて面白がったように思う。それは確かに、管理者としては不適格な態度である。でも、世間をあおるプロデューサーとしての嗅覚は優れていたということなのだろう。

 わざとゲテモノのおもちゃを人にぶつけて遊ぶような、子どものような感覚。秋元氏が執着しているのは金ではなく、人の反応である。そこにはファンや視聴者だけでなく、アイドル本人も含まれる。だから悪趣味に見えるとたびたび批判も受けるが、反応する人がいる以上廃れることはない。

 まさに「会いたかった」というAKBのヒット曲は、彼女たちの代名詞でもあり、秋元氏の神髄そのものなのだろう。会って、どんな顔をするのか見たい。怒ってもいい、ちゃんと反応してほしい。SNSははやっていても、生身の人とのつながりが希薄化する日本で、秋元氏的な人脈やコンテンツに人気が集まるのは自明のことかもしれない。

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