呼吸も排尿もできない子を持つ母の回想 「殺してしまいたい、殺人犯になってもいい」想像とかけ離れた育児への絶望

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呼吸も排尿もできない子を持つ母が回想するあの日のこと(上)

「元気な子どもたちの世話に追われて、小言を言いながら過ごしたい――。妊娠中に思い描いたそんな夢は、一瞬にして崩れてしまったんです……」

 シューッシューッという規則的な音が部屋に響き渡る。その音は鳥のさえずりと共鳴し、大原家の生活の一部と化している。目の前に置かれた“音の源”は、およそ一般家庭ではお目にかかれない、ここ大原家の暮らしの象徴だ。“人工呼吸器”が脇に設置されたベッド。その上に、編み込みを施した髪に赤いリボンをつけた、ふくよかな女の子が横たわっている。【中西美穂/ジャーナリスト】

「香奈ちゃん、そろそろごはんの時間だよ」

 母親の絵里さんは香奈さんに声をかけ、優しく頭をなでながら服をめくり上げた。そして、お腹の胃瘻(いろう)にチューブを差し込み、ミキサーでペースト状にした家族と同じご飯を流し込んだ。

 絵里さんがシリンジ(注射筒)を指で押して“昼食”をあげながら言う。

「3歳になったこの子の存在を、今は受け入れました。でも、生まれてから半年は暗黒の時間で、NICU(新生児特定集中治療室)にいる間は、この子を早く連れて帰って殺してしまおうって、そればっかり思っていましたね。あの時の気持ちを振り返れば、『本当に子どもを殺してしまいたい、殺人犯になってもいい』――そんな思いを強く抱いていました。想像とはかけ離れた育児に絶望を感じていたんです」

 子どもを殺してしまおうという心境。我が子に手をかけるという考えに及ばざるを得ない状況。なぜ、絵里さんはそこまで追い込まれたのか。

「お医者さんは『脳死状態』とは言いません。『脳波は平坦だ』って言われて……。それって、どう捉えていいかわからないですよね。息もできない、排尿も自分でできない、生命維持に必要な部分まで何かの力を借りていて……。『この子は何のために生きていくんだろう、何が楽しくて生きていくんだろう』と、そうした思いで私の頭はいっぱいでした」

 絵里さんが香奈さんを見つめる瞳は、母親の愛情に溢れている。ここにいたるまでの葛藤や懊悩などは、そこには窺えない。

「この子の“生”をつなぎ止める呼吸器の回路を外してしまえば……。それで自分も死んでしまおうと。残った香奈の双子の姉と夫、その2人なら暮らしていけるんじゃないかって。そう思ったのは一度や二度ではありません。数え切れないほど考え、否定し、また考えて、その繰り返しです。それほど追い込まれていたのだと思います。自分をとことん追い込んでいたので、ちゃんと現実が見れていなかったし、落ちるとこまで落ちていました。その中でもわずかに自制心が働いたのは、香奈の双子の姉の存在があったからです」

 香奈ちゃんの昼食が終わって、「ママ、うどん食べたい~」と駆け寄ってたきた女の子。香奈ちゃんと双子の姉・奈津実ちゃんだ。

 夫の明さんと2015年に結婚するも、なかなか子どもに恵まれず、不妊治療の末に双子を身ごもった絵里さん。順調なマタニティライフを送り、いよいよの時を迎えたのは2018年末。世の中は師走の慌ただしさ。絵里さんも、かわいい双子と夫と4人で、新年を迎えるのを楽しみにしていた。人生が大波に見舞われる とも知らずに。

 12月26日。お腹にいるのが双子ということもあり、計画分娩が進められていた。

「あの時、帝王切開してくれていればという思いは、今も消えません。当初は2人とも逆子で、帝王切開の予定でしたが、直前に逆子がなおって、自然分娩でいくことに。主治医からは『何かあればすぐに帝王切開に切り替えますからね』と言われ、何ごともなく出産できると思っていたので、『痛いのイヤだなー』くらいの感じで。まさか、こんな結末になるなんて夢にも思いませんでした」

 誘発剤の点滴が進み、自然分娩に備えていた絵里さん。しかし、26日には分娩の兆候がなく、誘発剤の投与を停止。翌27日に再度、誘発剤の点滴が進み、その後、陣痛が強まり、自然分娩が始まる。

「奈津実を出産する際のことです。助産師さんが私の上に乗ってお腹を強く押しました。『香奈がまだお腹の中にいるのに大丈夫なのか?』。その時、強くそう思ったのを覚えています。しばらくして姉の奈津実がギャーッという泣き声とともに産まれ、助産師さんが私の顔の横まで連れてきてくれた。これで安心だって、ほっとしました」

 続けて香奈ちゃんの番かと思われたが、しばらくして胎児心拍が低下する。

「助産師さんが姿勢を変えると心拍は戻りました。陣痛はきておらず、子宮口も閉じているので、モニターがうまく反応していなかっただけと捉えたそうです。やがて先生と助産師さんは夜勤担当と交代するということで出て行かれ、新たに来られた助産師さん2人だけが残りました」

 しかし数分後、再び胎児心拍が低下したのである。

「でも、交代の時間というので、先生たちはすぐに戻ってきてくれなくて……。助産師さんに『酸素吸って!』と言われて必死に吸い込みましたが、胎児心拍は低いまま。そうこうしているうちに先生が戻ってきて、でも、押しても押しても出てこない。徐々に分娩室の空気が変わって、みんな焦りはじめた様子で……。香奈の心拍が下がっているため帝王切開に切り替えることになったのですが、『手術室が空いてない!』と叫ぶ声が聞こえました。私はパニックになりそうでした。『何かあれば帝王切開に切り替える』と先生は言ったのに、と。看護師さんに『赤ちゃんために大きく息を吸って!』と言われ、お腹の子のために酸素を送らなきゃと思って必死に呼吸しました。吸引なども行われたのですが、子どもは出てこなかった。子宮口もまだ開いていないので無理ですよね。でも、手術室が空いていないのなら他に道はないと思って、いきみ続けました」

 その後も香奈ちゃんの心拍は低下し、ついに70台に。

「これ以上無理です!」

 ドクターのひとりが叫んだと当時に、絵里さんはストレッチャーに乗せられた。

「頑張れ!! 出したるからな!」

 ストレッチャーで手術室に運ばれる絵里さんを、ドクターは励ました。手術室で帝王切開術が始まったのは、それから20分は経っていたという。

「今でもあの光景と痛みを覚えています。麻酔で気を失う前にメスを入れられたんです。それくらい緊急を要する、危険な状態におかれていたわけです」

 取り出された香奈ちゃんは、泣くこともなく、体動もなかったそうだ。ただちに心臓マッサージが施され、人工呼吸器が装着された。

「起きて!!」

 看護師の声がした。叩き起こされた絵里さんは、香奈ちゃんが入っている保育器に手を入れるよう促された。看護師に言われるがまま、麻酔から完全に覚めきらず、意識がはっきりしない状態で絵里さんは保育器に手を入れ、香奈ちゃんの小さな手を握ろうとした。が、その手を握った瞬間、握り返してくるものと思っていた儚いほど小さな手は、絵里さんの掌を滑り落ちた。

呼吸も排尿もできない子を持つ母が回想するあの日のこと(下)へつづく

中西美穂(なかにし・みほ)
ジャーナリスト。1980年生まれ。元週刊誌記者。不妊治療で授かった双子の次男に障害が見つかる。自身の経験を活かし、生殖医療、妊娠、出産、育児などの話題を中心に取材活動をしている。障害児を持つオンラインコミュニティ・サードプレイスを運営。

デイリー新潮編集部

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