「じゃない方芸人」と呼ばれた麒麟・川島はなぜ“逆襲”できた? ノブコブ徳井が考察

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超能力者・川島明

 今年2月、お笑いについて熱く考察するエッセイ『敗北からの芸人論』を上梓した平成ノブシコブシ徳井健太さん。今回語るテーマは「麒麟」。長年親交のある徳井さんから見た二人の素顔とは――。

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 今年の2月末に『敗北からの芸人論』を発売してからというもの、ありがたいことに芸人やバラエティー番組についての考察を語る、といった仕事が増えた。

 これも読んで下さった皆さんのおかげと、本に書かせていただいた21組の芸人さんたちのおかげです。ありがとうございます。

 加えて、決して忘れてはならないのが、帯に推薦の言葉を書いて下さった朝日奈央さんと、麒麟・川島明さんへの恩。

 朝日さんとは、「ゴッドタン」の「腐り芸人」という企画が産声を上げた瞬間、彼女はサブMCとして見守ってくれた、いわば同期のような間柄。

 川島さんは、僕とたった1年半しか芸歴の差がないとは思えないほどの超能力者。その才能が世間からきちんと評価され、現在は覇王道まっしぐらだ。

「芸能界に迷いこんだ冒険家、徳井による 天才芸人見聞録である」

 これ以上ないくらい僕の芯を捉え、それでいてポップでキャッチーな推薦文を下さった川島さん。

「もうちょっとわいわい楽しく打ちたかったんやけどなぁ」

 相方の田村(裕)さんは、芸歴わずか8年目に刊行した自叙伝『ホームレス中学生』が、225万部の大ヒットとなった。

 そんな田村さんとは麻雀を一度打ったことがある。でも残念ながら一度だけ。

 原因は僕にあって、下品な「鳴き」や「ダマテン」を繰り返すことに、「もうちょっとわいわい楽しく打ちたかったんやけどなぁ」と田村さんは悲しそうな声を上げた。それ以来、卓の前ではお会いしていないが、劇場では何度もご飯に連れて行ってもらったし、現場や楽屋が明るくなる叫び声を、何度も何度も聞かせてもらった。

 ということで、今回は麒麟のお二人について、僭越ながら少し考えてみたい。

笑い飯、千鳥、麒麟の「三羽ガラス時代」

 そもそもが規格外だったんだと思う。

 M-1初年度の2001年、まだ芸歴3年目にもかかわらず麒麟は決勝へ進出し、2003年からは4年連続決勝へ駒を進める。

 笑い飯さんと肩を並べるくらい、「M-1の申し子」だといえる。今では珍しくない、前半が実はフリになっていて、後半で次々と謎が笑いに変わっていく「伏線回収型の漫才」は、僕が観た中では麒麟さんが最初だった。

 僕らが東京の劇場によく出させてもらっていた2000年代前半、大阪の劇場は様変わりしていた。

 人気のある先輩方が次々に卒業し、笑い飯・千鳥・麒麟の三羽ガラス時代が到来していた。

 超お笑い至上主義で、「おもろいか、死ぬか」の二択を常に突き付けられているような、重さのある窒息感にも似た空気が劇場を押さえつけていた。そんな大阪の劇場の中でも麒麟さんだけはすでに、ポップ、と呼んでもいい空気感を出されていて、ふつうのお客さんも笑いやすい優しさと、ちゃんと「売れたい」という感性を持ち合わせていたと思う。

 その上、トークはできるし大喜利は面白いし、ネタもすごいし、結果も出す。

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