元東京地検特捜部長・熊崎勝彦氏、死去……“落としの熊崎”が明かした、政界のドン「金丸信」逮捕までの攻防

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「真実の前には、頭を垂れなければならない」

「発見するまで帰ってくるな」という五十嵐氏の叱咤が飛ぶ中、北島孝久検事が金丸の次男信吾氏を懸命に説得、場所をつきとめた。金丸事務所が入居するパレ・ロワイヤル永田町の別の部屋に移していたのだ。

 生原氏は、金丸事務所の廊下に、金庫を移動させる際についたと思われる筋を認めたという。大人が何人もかかってやっと運べる金庫を1人で運ぶ。信吾氏の火事場のバカ力だった。

 金丸氏の身柄は東京拘置所に移され、逮捕翌日から連日、熊崎氏は聴取を行った。20日間行われた取り調べは、2時間の日もあれば計6、7時間の日もあった。

「政治にはカネがかかる」という話はするものの、献金を受けたゼネコンの名前を自ら先に明かすことはなかった。ただ、「一つだけ重要な秘密の暴露があった」と熊崎氏は言う。それが何であったかについて氏は語らないが、前出の記者は、「ワリシンから現金化していた10億円のことではないか」と推測する。

「金丸さんは当初、カネは選挙の際に政治家に配ったと供述したが、熊崎さんの追及で、台湾の大学に金丸文庫という図書館を建てるためだと訂正し、最終的に現金で保管していることを認めた。カネは金沢の親戚の家で、段ボール箱4つに入って見つかりました」
 
 同3月、金丸を起訴。脱税総額は約10億4000万円に達した。熊崎氏は言う。

「真実の前には、どんな大物政治家であれ、頭を垂れなければならない。間違えたことをしたら、責任を取るしかないのです」

 バブルとともに、金丸の時代も終わったのだった。

デイリー新潮編集部

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