元東京地検特捜部長・熊崎勝彦氏、死去……“落としの熊崎”が明かした、政界のドン「金丸信」逮捕までの攻防
「弁護士に相談させてくれ」
明けて3月6日。金丸を取り調べるため、キャピトル東急ホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)に到着したのは正午過ぎだった。金丸は弁護士と一緒に少し先に着いていた。金丸は落ちついている様子だった。
この捜査のキーマンとなるのは、金丸の金庫番、生原(はい ばら)正久元秘書だった。特捜部の吉田統宏検事が、この日の朝から地検で聴取したが、午前中は否認のまま。苦戦の様子が、五十嵐氏から熊崎氏に伝えられた。
熊崎氏はその間、「政界の話など他愛ない話をし、お堀の周りを回りながら、本丸突入の機をうかがうような状態だった」という。
生原氏に変化が現われたのは午後である。生原氏へのインタビューが収録された『小沢一郎VS.特捜検察 20年戦争』(村山治)によると、彼はゼネコンから渡される金丸分の約1割を受け取り、割引金融債などにしていたという。それを税務申告しておらず、脱税を指摘される。検事が日本債券信用銀行から情報を得て臨んでいることがわかった生原氏は、「事実関係をありのまま説明するしかない」と思ったのだ。
午後2時半過ぎ、五十嵐氏から“生原が落ちた”との報が届く。それを受けて熊崎氏はこう切り込んだ。
「先生、ままごとあそびをいつまでもやっているわけにはいかない。調べはついてますよ」
金丸の体がぐらりと揺れた。
「先生もいままで日本を引っ張ってきた政治家でしょ、他の議員だってうそはつきませんよ」
「わかった、弁護士に相談させてくれ」――
熊崎氏はその瞬間、「心証を得た」。つまり脱税の事実関係はあるに違いないという感触を得たのである。
あるはずの金庫がない
隣室には、ヤメ検の安部昌博弁護士が控えていた。熊崎氏はこう回想する。
「安部先生はやられたというか、こんなものが出てきたのかという表情でした」
前出の新聞記者によれば、
「金丸さんに切り込むまでのつなぎの時間が大変だった。安部弁護士は『出頭要請の話と趣旨が違う』と連れて帰ろうとするし、側近も心配して次々に来た。熊崎さんはたまらず、弁護士に応対する特捜部の検事を派遣してもらったようです」
熊崎氏は冷静だった。
「弁護士と相談された上でお話しになるということは、むしろ手堅い供述がとれると思っていました。実際その後、事実関係をお認めになられました。金丸さんが示した責任をとるという態度は立派でした」
午後6時3分、金丸逮捕。しかし、一つだけ、大きな誤算があった。
金丸の私的蓄財であることを証明するために不可欠な割引金融債を収めた金庫が、当初あると見ていた金丸事務所になかったのである。もし発見できず、後日、金融債が自民党本部に運ばれてしまえば、政治資金と反論される可能性もあった。
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