元東京地検特捜部長・熊崎勝彦氏、死去……“落としの熊崎”が明かした、政界のドン「金丸信」逮捕までの攻防

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 ゼネコン汚職事件など数々の大型事件を手がけ、東京地検特捜部長や日本野球機構(NPB)のコミッショナーを歴任した熊崎勝彦氏が、5月13日に心不全で亡くなった。享年80。“特捜の申し子”と称された熊崎氏を語る上で欠かせないのは、やはり元自民党副総裁・金丸信の逮捕劇だろう。東京地検特捜部の副部長だった熊崎氏は、脱税容疑がかけられた“政界のドン”の取り調べを担当し、見事に自供を引き出す。まさに“落としの熊崎”が本領発揮した事件と言える。

 生前の熊崎氏は『週刊新潮別冊《昭和とバブルの影法師》2017年8月30日号』において、金丸逮捕までの攻防を自ら振り返っている。故人のご冥福を祈りつつ、当時の記事をご覧頂きたい。

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「金丸さんの取り調べを頼む」

 政界のドンが逮捕された1993年3月6日、東京地検周辺は不気味なほど静まりかえっていた。その日のことを、熊崎氏は鮮明に記憶している。

「リクルート事件、共和汚職事件など多くの事件を担当しましたが、逮捕や家宅捜索の日はマスコミでごった返すので、あの日は逆に印象深いです。金丸さんの場合は脱税容疑なので、報道されて証拠隠滅されるとマズい。だからマスコミはむろん、地検内でもごく一部の人にしか知らせない状態で、内偵していました」

 大手紙記者によると、「これほどの情報管理のもと政治家を逮捕するのは、角さん(田中角栄元首相)以来だった」という。

 内偵は同年1月から始まった。特捜部と東京国税局がタッグを組んで行われたが、内偵の中心人物の1人、五十嵐紀男特捜部長から「金丸さんの取り調べを頼む」と依頼されたとき、熊崎氏は「考えさせてください」と即答を避けている。

 先の記者によれば、同僚検事から、筋の悪い事件だと聞かされていたからだ。

「金丸さんには、ゼネコンなど各方面から、かなりの額のお金が入っているわけです。それらを事務所に無造作に置いたり、ワリシンなど割引金融債にして持っている。それが個人に帰属するものならば脱税になりますが、政治資金として公に使う予定だった可能性もある。そのあたりの公私の判別や年度ごとの額の振り分けが非常に難しい。五十嵐さんは政治資金であればカネの出入りがあるはずなのに、ないことに着目して、私的蓄財だと見ていたわけですが、熊崎さんは引っかかっていた」

汚名返上

 その後、熊崎氏は五十嵐氏に疑問点をぶつけるが、

「五十嵐さんの意志は固かった。硬いバネのようだったんですよ。五十嵐さんには期するものがあったのだと思います」(熊崎氏)

 期するものとは、検察に対する汚名返上である。前年の92年、金丸が東京佐川急便の渡辺広康社長から5億円のヤミ献金を受け取った事実が発覚。検察は、金丸を取り調べることなく、略式起訴し罰金20万円で終わらせた。国民の怒りは爆発し、「検察庁」と刻まれた石碑にペンキがかけられる騒ぎが起きた。

 熊崎氏にとっても、あれほどの検察批判を受けた経験は、72年に検事に任官して以来、初めてだったという。だからこそ五十嵐氏は、この事件にかける固い決意を漲らせているものと考えた。

 結局、熊崎氏も腹をくくったが、不安は取り調べ前日の3月5日になっても消え去ることはなかった。自身、「検事人生で初めて」という微妙な会話を家族としている。

 夜、官舎近くにあるフランス料理店に家族と出かけた。赤ワインを飲むうち、「お父さんは、ちょっと大きなことをやらなければならない。もし失敗したら、検事をやめて、故郷の岐阜で弁護士をやるからな」と、弱音を吐いたのだ。

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