“余命わずかの不倫相手を看取りたい――” 夫の願いを知った妻が書いた「彼女宛の手紙」の中身

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咲紀子さんとの出会い

 憲司さんが10歳年下の咲紀子さんと知り合ったのは、通い始めた音楽学校だった。

「彼女はサックスを習いに来ていた。出入りしているうちに顔を合わせるようになって、どちらからともなく言葉を交わして……。僕は40の手習いですから、進歩が遅くて自分にイライラすることもありました。そんなときは彼女が励ましてくれた。ときどき帰りに一杯やる機会が増え、今度はゆっくり夕飯でもということになり。半年ほどかけて、徐々に親しくなっていった」

 最初に言葉を交わしてから半年後、ふたりでゆっくり食事をする機会があった。そのとき初めて、彼は咲紀子さんが同じ大学出身だと知った。

「マンモス大学ですから同窓生はたくさんいるんですが、やはり一気に距離が縮まった気がしました。彼女と食事をして感じたのは、とてもきれいな食べ方をするということ。あまり人の食べ方なんて気にしたことはなかったけど、彼女の箸使いや手の動きがすごくきれいで目に付きました。きちんとした家で育ったんだろうな、と。なぜか自分の出自をちょっと恨めしく思ったりして」

 そのことを褒めると、彼女はクスッと笑って「他人の家で育ったからですかね」と言った。なんと彼女も親が離婚していたのだ。親戚に預けられたものの、そこからさらに里親の元へ出されて育ったのだという。

「里親はとてもいい人たちで、しっかりしつけてくれたし愛情も注いでくれた。だけど両親とは決別したまま。なぜか学費は払ってくれたけど、と彼女は笑いました。たくましいし美しい。何かあるとどこかネガティブになってしまう自分とは違うなと思いました。佳代もたくましいんだけど、佳代の場合はさんざんネガティブになってからの開き直りなんです。咲紀子ちゃんは、負の要素を負と思っていないような強さがありました」

 憲司さんは一気に咲紀子さんに惹かれていった。咲紀子さんもまた、憲司さんの境遇に興味を抱いたようで、それからふたりはときどき学校の帰りに食事をし、音楽や仕事、人生について語り合った。

「あるとき、咲紀子ちゃんが『うちに古いジャズのLPがあるので見に来ませんか』と言うんです。思わず行くと言ってしまいました。その時点では下心はなかったんですよ、本当に。彼女の部屋は1LDK。親戚を通じて親から生前贈与の形で送られたお金をもとに買ったそうです。『これで縁切りという意味のお金ですよ』と彼女は飄々と言いました。それを聞いて、なんだかたまらなくなって抱きしめてしまった」

 彼女の両手が彼の背に回ったとき、憲司さんはなぜか涙が止まらなくなった。幼い日の自分を思い出したのかもしれない。

4年間の“濃厚な日々”

 それから4年間、一緒にいる時間は短かったものの、“濃厚な日々”を送った。連絡は密だったし、たとえ30分でも顔を見たくて彼女の部屋に寄ることもあった。彼女は共働きで子どものいる彼のことを常に慮ってくれたという。

「離婚しちゃダメよといつも言ってくれていた。わかってると僕も言った。矛盾した話ですよ、離婚しないなら不倫などしてはいけないのに。でも僕も彼女も別れるという選択肢はないと信じていた。愚かだと思います。でも咲紀子ちゃんのことは本気だった。もちろん佳代も愛していたし、誰より息子を愛していた。妻と息子が寝静まってから、こっそり家を抜け出してタクシーを飛ばし、咲紀子ちゃんに会いに行ったこともあります。愚かな自分の愚かな行動を、僕は自分に許していた」

 そういうときに限って仕事も順調で、彼は多忙をきわめていた。常にハイテンションで仕事をバリバリやっている万能感もあったそうだ。

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