「被害を与えたことをお詫び」重信房子・元最高幹部が出所後、真っ先に向かった「支援者の祝賀会」

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「あまりたくさん押しかけないように」とのお達しが関係者内であったとかで、“ヒロインの生還”を待ち受ける支援者は意外に少なく、東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)の正門周辺は、報道陣ばかりが溢れかえる。結局、日本赤軍元最高幹部の重信房子氏(76)が懲役20年の刑期満了を務め終えて姿を現したのは、5月28日の7時55分頃だった。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

「スルメイカみたい」なカーディガン

 待機していた右翼の宣伝車がすかさず、「人を殺しておいて何が癌の治療に専念するだー」「日本からさっさと出ていけー」などとガンガンやり出す。支援者らは車から出てきて、娘のメイ氏(49)と並ぶ房子氏に駆け寄り、必死にスマホで写真を撮っている。定められた位置からは何も撮れないカメラマンたちからは、「どけー」と怒号が飛ぶ。

 走り回る警備の警官……現場は騒然となったが、すぐに近くの公園での短時間の「青空会見」へ。「街宣車が来て何も聞こえなくなるぞ」と心配したが、意外や彼らはどこかに消えた。

 黒い帽子を深くかぶりマスク姿。「房子さんが『スルメイカみたい』とおっしゃった。着方が難しくて手伝ってくれた係りの女性も間違えていた」(大谷恭子弁護士)という、おしゃれなグレーのカーディガンを細身に纏っている。

 大谷氏とメイ氏に挟まれた房子氏は、「生きて出てきたなあという感じが強くあります」と切り出した。20年の懲役期間、4度の癌の手術をした高齢の身として、「獄死を免れた」は実感だろう。

 そして「人質を取るとか、戦いの中で戦闘第一にしたことによって、見ず知らずの無辜の人たちに対しても被害を与えたことがありました。そのことについては古い時代とはいえ、この機会にお詫びします」とゆっくりと話し、頭を下げた。「これからも新しい道で反省したこと、好奇心を持ってもっともっと生きてゆきたいと思います」とも語った。

 さらに、刑務所の医療班や支援者への謝意を述べ、「最後に付け加えたいこと」として「一方の情報、警察情報を鵜呑みにして書くのではなく、テロリストと言われる人がいるなら、なぜその人がテロリストと言われるのか。言っている側の意図をよく読み取っていただきたい」とした。

政治家が1つの方向に流れている

 今秋、77歳になる重信氏。これからの課題として「治療します」より先に「学習します」と語ったあたり、穏やかな表情にも凄みとオーラを感じた。

 質疑では「これまでをどう総括しますか?」と即答できるはずもない質問も出て、大谷弁護士が遮った。「20年ぶりに外に出てきて感じることは」と問われると、「今感じていることは、あまりに昔と違って1つの方向に流れているんではないか。国民はそうではなくても、政治家が1つの方向に流れているというのが実感です」とし、ゼレンスキー大統領が国会でビデオ演説した際、れいわ新選組を除いた議員全員がスタンディングオベーションしていたことを例に挙げた。

 筆者は「医療刑務所では世相のこととか、十分情報は入ってきましたか?」と尋ねた。重信氏は「そうですね。友達がいたせいで十分に情報は入っています」と答えてくれた。

 落ち着いた語りは柔らかく、声も大きくない。「女闘士」「テロリスト」「革命家」「魔女」など、メディアがつけた呼称からのイメージとは程遠かった。

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