終戦後、朝鮮人を利用して勢力を拡大した共産党 党史には書かれない“不都合な真実”

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

一体となって活動するよう要請

 だが、この2全大会以降、朝連内には共産党のフラクション(分派組織)が置かれ、朝連幹部に日共党員が配置されるようになったのだ。この時、徳田球一らと府中刑務所に収監されていた朝鮮人共産党員・金天海が朝連の顧問に就任する。

 すでに日共では前年12月の第4回全国大会で内部に朝鮮人部を設立し、徳田球一、志賀義雄、袴田里見に次ぐ序列4位の金天海が部長に就任、朝連を革命運動の一翼と位置付けていた。

 張錠壽は当時の様子をこう書いている。

「一九四五年から朝連大阪本部のなかに共産党のフラクションがあったが、支部にはそこまで人員がいなかったから、フラクションはできなかった。支部にいて共産党と連絡がつく者は、本部の細胞に所属して、そこから細胞会議に出てきた。四六年になって、朝連の各支部にまで日本共産党の細胞が置かれるようになって、連絡体制が完全に確立され(中略)この時期わたしは、共産党の細胞会議と朝連の会議と両方に出席していた」(張錠壽・同前)

 日共はこの後、1946年8月の第4次拡大中央委員会で、いわゆる「8月方針」を決定、朝連の共産主義者に対し、日共の日本人党員と一体となって活動するよう要請するのだ。

人民民主主義戦線

 坪井によれば、8月方針は、以下の通りである。

「(一)各地にある朝鮮人だけの細胞やフラクションは、なるべく日共の地域細胞やフラクションに加入し、日本人党員と一体となって活動する。

(二)朝連その他の朝鮮人だけの職場にある党員も、なるべくその居住地で地域細胞や職場細胞などに加入し、日本人党員とともに活動するようにする。

(三)朝連は民族戦線としての役割をはたすよう、その大衆的単一組織を強化し、各級の日本人の連盟組織に加盟する方向をとる。またその中央機構なども、この方向に合致するよう改編し、重要ポストには党員を配置する。

(四)朝連は、なるべく下部組織の露骨な民族的偏向を抑制し、日本の人民民主革命をめざす共同闘争の一環として、その民族的な闘争方向を打出すことが必要で、その方が朝鮮人自体のためにも有利である。

(五)したがって朝連は、あくまでも日本の人民民主主義戦線の一翼を担当する役割をはたすように、つとめることを要する」(坪井・同前)

次ページ:「朝鮮人の利益は、日本人、朝鮮人大同のもと」

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[2/7ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。