オウム元幹部・平田信が出所 交流を続ける遺族が語る「信じられる人だと思う」

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 世を驚かせた出頭から10年の時を経て、オウム真理教・逃亡17年の元幹部がひっそりと出所していた。教祖のボディーガードを務めた平田信(57)。その獄中生活と今後を、交流を続ける被害者遺族が語った。

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 平田が静岡刑務所から満期出所したのは、4月26日のことである。

 平田はオウムの古参信者の一人で、180センチ超の長身と空手の経験から、麻原彰晃こと松本智津夫のボディーガードも務めていた。1995年には、入信した妹を救出しようとした、目黒公証役場事務長・仮谷清志さん(当時68)の拉致監禁に関わり、また、宗教学者宅爆破事件にも関与した。エアライフルでインターハイ出場経験もあることから、一時は国松警察庁長官狙撃事件の実行犯と疑われたことも。地下鉄サリン事件後は、逃亡を続け、特別指名手配犯となったものの、2011年の大晦日に突如、出頭。懲役9年の実刑判決を受けたのである。

遺族は「他のオウム幹部とは違うな」

「出頭した直後から、平田から謝罪の手紙が届くようになったんです」

 と述べるのは、仮谷実さん。故・清志さんの長男だ。

「でも、井上(嘉浩・元死刑囚)や中川(智正・同)からも最初は詫び状が届いていましたからね。裁判で情状酌量を得るための、ありきたりの手法だろう、と思っていたんです」

 が、その後も、平田からは数カ月置きに手紙が届く。その数は4年間で25通以上に及び、印象が変わっていったという。

「裁判資料で見たのでしょうか、父がコーヒーとチーズケーキが好きだということを知り、命日には拘置所でお供えして冥福を祈っている、と記してありました。法廷で会った時も、私の座っている場所を事前に弁護士に聞いていたのでしょうか、きちんと一礼してきた。目も合わせようとしなかった他のオウム幹部とは違うな、と感じました」

 収監された後も仲介者を通じての交流は続き、刑務所からは服役態度は良好との報告を受けていたとか。

 出所前には、直接面会を果たしたという。

「久しぶりに見た印象は、年を取ったなあ、と。改めておわびをされました。知人の紹介で働き口の目途も付いているとのことでした」

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