川端康成がガス自殺したマンション 購入女性が語る住み心地とは?

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 一歩入ると、そこは南欧のホテルのように白で統一された室内である。バルコニーの下にはヨットが並び、海の向こうに江の島と富士山が見える。文豪・川端康成が自死をとげたマンションが人手に渡ったのは3年前のこと。その住み心地を、現所有者の女性が教えてくれた。

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 1972年4月16日の夜、古都・鎌倉にほど近いリゾートマンション・逗子マリーナの管理人室に「ガスの臭いがする」という通報が入った。警備員がお手伝いさんとともに川端の部屋に入ると、ガス管をくわえた本人の遺体が布団の中に横たわっていた。傍には封を切ったばかりのウイスキーが置いてあったが、遺書は見つからなかったという。

 当時、川端は日本初のノーベル文学賞作家として文学界を背負って立つ存在だった。しかし、創作が思うように進まないことから極度の不眠症に悩まされるようになる。

「まさか私が手に入れることになるとは」

「逗子マリーナは、そんな川端が鎌倉の本宅とは別に執筆のために使っていた部屋でした」

 とは、川端康成記念會の理事で文芸評論家の富岡幸一郎氏。部屋は2LDKで、広さ約52平方メートル。事件当時、こたつや小机、ちゃぶ台などが置かれた和室の様子がマスコミで報じられている。

 富岡氏が続ける。

「川端の死後、逗子マリーナの部屋に誰かが住むことはありませんでした。もっぱら美術品や川端の書いたものを保管しておく物置として使われていたと思います。一時は所蔵品の展示室にするという案がありましたが、マリーナは管理が厳しく外部の人の出入りが難しい。結局、売却することになったのです」

 2019年に地元の不動産会社が買い取り、2年前に鎌倉市在住の60代の女性が購入する。そこで当の女性に、文豪の最期の部屋を買った経緯を聞くと、

「まさか川端さんが亡くなったマンションを私が手に入れることになるとは思いもしませんでした」

 との答え。聞けば川端作品の熱心なファンというわけではなかったという。

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