「朝鮮人引き揚げ」で巨大な利権を得た「在日本朝鮮人連盟」 鉄道乗車券も悪用

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闇船を手配する朝鮮人ブローカーが暗躍

 彼らは食糧をほとんど携行しておらず、配給があっても到着前に食べてしまい、下関警察署には配給の要求が相次いだ。また燃料が不足し、下関駅では構内に滞留していた朝鮮人が駅構内の建具を壊して炊事の燃料にした。このため建物が倒壊、就寝中の朝鮮人2名が死亡している。

 港では闇船を手配する朝鮮人ブローカーが横行した。船を待つ間、朝鮮人たちは闇市で商いを始め、揉め事が多発した。

 もちろん、そうした混乱は下関だけではなかった。朝連の腕章を巻いて京都府西舞鶴の埠頭に立った崔碩義はその光景を次のように描写している。

「乗船予定者がみんな船に乗り移るクライマックスの頃に達すると、どこからともなく現れた横着で無法な帰国希望者が、わあっと群れをなしてタラップに殺到し始める。(略)船体の前と後ろの方でロープなどにしがみついて甲板に這い上がっている勇敢な若者の姿も見られる。こういう連中は風呂敷包み一つの単身者なのである。もはや、このような状態になると船客名簿どころか、危険が一杯だ。やがて定員の数倍もの乗客を詰め込んだ船は大歓声のうちに汽笛をならして出航していく」(「八・一五解放前後の舞鶴の思い出」『在日朝鮮人史研究』)

業務を朝連が奪取

 こうした中で、興生会による引き揚げは2カ月ほどで頓挫する。

「十月二十五日以来、輸送統制のため、地方興生会または事業主が発行にあたっていた『計画輸送証明書』は、十一月十三日午前零時から各地方長官が発行し、各鉄道局をブロックとする大幅の輸送計画をたて輸送人員を割り当て、帰鮮者の計画輸送証明制度を強化した」(引揚援護庁編『引揚援護の記録』クレス出版)

 そもそも興生会は、10月16日の朝連結成を境に、急速に求心力を失っていた。そしてその業務を朝連が奪っていく。

「ことに大阪地区の朝連は自分たちで引揚計画をたて、それを管理した」(ワグナー・同前)

 朝連は船舶の処置を自分たちに委ねることを運輸省と船会社に要求、官憲と協力し、大阪やその他の港に朝鮮人を輸送する特別列車を仕立てる計画を立てた。

 そして朝連は次々と地方の興生会支部を訪れ、事務所や備品の明け渡しと、事業、資金の引き継ぎを要求した。朝連幹部には土木請負師の顔役たちがそろっていたから、力ずくという場面もあったようである。

 結局、興生会は政府に引き揚げ業務を委託されながらも、実務を遂行することなく、11月15日に組織を解散した。政府は興生会の名称を日鮮協会と変更して再出発を試みさせたが、それもわずか3カ月で立ち行かなくなった。そして以後、引き揚げ業務を朝連が行うのである。

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