ヤクザの辞め方は2パターンある カタギになった、それぞれの辛すぎる人生とは?

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“強制カタギ”のケース

 自らの意思とは逆に、処罰や組の消滅等によってカタギになるしかなかった者の大きな問題点は、「そもそも辞めるつもりがなかったので、離脱後のカタギとしての人生設計がまったくない」ことである。

 だから、この手の人たちの中には、別名を使用したり、他所に行って別の暴力団に再所属して暴力団員に復帰するケースも多い。

 10代の頃から渡世入りして60歳も過ぎれば、暴力団員としての生き方しか知らず、どんなに苦しくても、もう暴力団で行くしかないと考えてしまうのも分からなくもない。

暴力団離脱難民

 しかし、別の暴力団に復帰できる縁もなく、言わば、急に一般社会に放り出されてしまった元暴力団員たちがいるのも事実で、安居楽業とは程遠い人生を辿るしかない者たちも多い。

 彼らの辛さは、繰り返すが「カタギとしての人生設計がなかった」という一語にすべてが集約されてしまう。

 組への会費滞納と覚醒剤事件での逮捕が重なって懲役刑となった暴力団幹部のBさんは、服役とほぼ同時に、所属していた組から一方的に破門処分にされて、カタギにされ、約5年間の刑務所暮らしを終えて、六十歳を過ぎて、社会復帰することになった。

 約5年間の刑務所時代に、カタギとしての人生設計をいろいろと模索したそうだが、そもそもカタギでやっていくつもりがなかったBさんとしては、いろいろ考えても、これといったプランは浮かばず、また、一般社会から遮断された塀の中での暮らしでは、それこそまともな社会復帰プランも立てられず、出所後は、完全なる暴力団離脱難民として、無職の日々を過ごしていた。

暴追センターの“盲点”

 やがて生活に困ったBさんは暴追センターを頼ろうとしたが、実は暴追センターは「現役の組員で離脱を希望する者が対象(暴力団員専用)」であって、組からの処罰や組の消滅等によって「既に離脱した者は対象外(暴力団離脱難民には非対応)」だった。

 Bさんの場合は、逮捕勾留中に所属していた暴力団から一方的に破門処分にされて、半ば強制的にカタギにされてしまい、そのまま約5年間の懲役送りになったので、他の暴力団に再所属するチャンスもなかった。

 また、出所したばかりのBさんは、感覚的にはカタギになりたてのホヤホヤだ。だが、既にカタギにされてしまっているので、暴追センターに相談できる枠からも結果的に外されてしまい、Bさんはどうにもならない状況に陥った。

 2022年2月、警察庁は金融庁に対して、以前から方々で議論され続けていた、離脱後も5年間は組員とみなす「元暴5年条項」の中の銀行口座開設の部分を緩和する指示を出し、暴力団員の更生と社会復帰を促す狙いを示した。

 だが、そこには暴追センター経由で再就職した者に限るという条件が存在しているため、暴追センターを利用できないBさんのような暴力団離脱難民には何の影響もなければ、何のサポートにもならない。

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