オシムがジーコより先に代表監督になっていたら…忘れられない2006年「アジア杯」予選の思い出

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 イビチャ・オシム氏と初めて会ったのは、90年のイタリアW杯だったと思う。グループリーグのユーゴスラビア対コロンビア戦(1-0の勝利。コロンビアにはGKレネ・イギータやMFカルロス・バルデラマらがいた)と、準々決勝のアルゼンチン戦(0-0からPK2-3で敗退)をそれぞれボローニャとフィレンツェで取材した。

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 アルゼンチン戦では、PK戦の1人目に登場したドラガン・ストイコビッチ(元名古屋監督。現セルビア代表監督でカタールW杯に出場)が失敗し、ユニホームで顔を覆ったシーンが印象に残っている。ただ、試合後の記者会見には出ていなかったので、オシム監督と会ったというのは正しいとは言えない。

 ストイコビッチ対ディエゴ・マラドーナという夢のような対決だったが、オシム監督らしいのは、グループリーグ初戦で優勝した西ドイツに1-4と敗れたことだろう。

 後年、オシム氏はこの西ドイツ戦を振り返り、メディアからプレッシャーを受けていたことを告白。ユーゴスラビアは多民族の連邦共和国のため、サフェト・スシッチ(ボスニア人)、ストイコビッチ(セルビア人)、デヤン・サビチェビッチ(モンテネグロ人)を起用するよう、各民族のメディアがプレッシャーをかけた。

 そこでオシム監督は、攻撃的な選手を同時起用してもチームは機能しないことを西ドイツ戦での敗戦で証明し、その後のコロンビア戦とUAE戦では選手を入れ替えてベスト8に進出した。

アジアカップ予選

 そして日本代表監督でも「遠藤(保仁)と(中村)憲剛、それから中村俊輔。攻撃的な選手を揃えれば格好いいかもしれない。だが、そのようなチームでは勝てないのです」と06年のアジアカップ予選、アウェーのインド戦後に、日本のストロングポイントである攻撃的なMFばかりを揃えて起用する危険性を指摘した。

 イタリアW杯後、次にオシム監督と会ったのは91年7月のテストマッチ、日本対パルチザン・ベオグラード戦だった。試合前にはユーゴスラビア大使館で開催された歓迎レセプションを取材した。

 しかし、ここでの記憶はというと、大使らの挨拶が終わり、別室のバンケットルームに移ったベオグラードの選手が一斉にタバコを吸い始め、ワインをがぶ飲みしたこと。このためオシム監督の印象はほとんどない。今思い返しても残念なことばかりだ。

 そんなオシム監督の思い出深い出来事はというと、前述したインド戦後の06年9月、翌年にベトナムやタイなど東南アジア4カ国で開催されるアジアカップの予選で、サウジアラビアとイエメンへ遠征したときのエピソードだ。

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