オシムがジーコより先に代表監督になっていたら…忘れられない2006年「アジア杯」予選の思い出

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イエメン戦での辛勝

 本来なら日本は、前回2004年大会(中国)で優勝しているため予選は免除されるが、4カ国で開催のため彼らにシード権が与えられたことで、日本も予選からの出場となった。そしてオシム監督への期待からか、マイナーな予選にもかかわらず多くの記者、カメラマンが中東遠征に同行した。

 地下資源がなく中東で最貧国と言われるイエメンでは、長方形ではないデコボコのピッチに苦労させられた。実際、オシム監督が「考えられないミスが(勝負を)左右しかねない」と警戒したように、試合が始まると長谷部誠らがパスをつなごうとする日本にミスが出て、なかなかイエメンゴールをこじ開けられない。

 指揮官は大熊清コーチに指示を出し、「ドリブルするな。前へ蹴っておけ」とキック&ラッシュを命じた。試合はアディショナルタイムに我那覇和樹のゴールで1-0と勝ったが、辛勝と言っていい試合内容だった。

“代案”の重要性

 オシム監督は「ピッチや気候条件がスタメンを決めるときもある。もしピッチが駄目ならば、中村俊輔も遠藤も、中村憲剛も羽生(直剛)も役に立たないだろう。テクニックでプレーする選手や、ゲームメイクをする選手全員が役に立たなくなるのだ。ならばどうするか? 1対1のプレーに強い選手が必要だし、戦える選手、上手くジャンプする選手が必要になってくる」と発想の転換を示唆した。

 日本人選手は綺麗なJリーグの芝に慣れすぎていること、ピッチや気候条件によってプレーを選択しなければいけないことを諫めたのである。そして、そのためにはどうしたらいいのか“代案”を常に持っていたのもオシム監督だった。ここらあたり、選手の自主性を重んじる森保一監督との違いだが、監督としてのキャリアが違うだけに仕方ないだろう。

 06年当時に比べ、アジアにも“プロ化の波”が押し寄せ、整備されたピッチを持つスタジアムが増えている。しかしヨーロッパでは、見た目はきれいな芝生でも、下の土の部分は何世紀も前から変わっていないため、粘土質でスリッピーなスタジアムが今でも多い。海外組は経験済みだが、こうしたディテールの経験値を代表チームは各年代で高めていく必要があるだろう。

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