中畑清の代役で…プロ1号が「満塁ホームラン」となった球史に残る選手たち

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「一生忘れない思い出です」

 一方、セ・リーグ史上最年少の19歳3ヵ月でプロ1号満塁本塁打を記録したのが、08年の巨人・坂本勇人である。

 同年、球団では松井秀喜以来の開幕スタメンに抜擢された坂本だったが、開幕から8試合で打率.208、0打点と結果を出せず、チームも1勝7敗の最下位と大きく出遅れた。

 そんな苦境のなか迎えた4月6日の阪神戦、「試合に出ている以上、打たないといけない」と責任を感じていた坂本は、4対0とリードした5回無死満塁で、カウント1-2から阿部健太の5球目、139キロ低め直球を「外野フライを打ってやろう」とフルスイング。意外に伸びた打球は、左中間席最前列に飛び込むプロ1号満塁アーチとなった。

 この一発がモノを言って、巨人は9対1と快勝し、連敗を脱出した。試合後、東京ドームで初めてお立ち台に立った背番号61のヒーローは「最高です!」と兄のように慕う先輩・阿部慎之助の決めゼリフを拝借し、「一生忘れない思い出です」と感激に浸った。

 2年目の若手の一発は、チームを上昇気流に乗せ、ここから逆襲に転じた巨人は、阪神との最大13ゲーム差をひっくり返し、“メーク・レジェンド”と呼ばれる大逆転Vを実現した。

 坂本も同年はCS、日本シリーズなどを含む全試合に出場し、シーズン打率.257、8本塁打、43打点を記録。新人王に準じる「セ・リーグ会長特別表彰」を受けている。

野球人生で唯一の本塁打

 後のスター選手が、勝利に貢献するプロ1号を足掛かりに輝かしい未来を手にする一方で、野球人生で唯一放った本塁打によって、ひと際大きな光彩を放った選手もいる。

 完封負け目前の試合で、6年目の控え選手があっと驚くどでかい仕事をやってのけるシーンが見られたのが、1975年8月9日の阪神vs広島である。

 6回まで阪神のエース・江夏豊に無得点に抑えられていた広島は、0対1の7回1死から四球とシェーンの左翼線二塁打で二、三塁と反撃の狼煙を上げる。阪神ベンチは併殺狙いで敬遠満塁策をとり、打率1割台の8番・道原博幸との勝負を選んだ。

 これに対し、広島・古葉竹識監督も代打・久保俊巳を告げる。前年までの5年間で通算5安打の久保は、初球ファウル、2球目空振りで、たちまち2ストライクと追い込まれた。

 だが、カウント2-2から、江夏がゴロを打たせようと勝負球のフォークを投げてくることを読んで、5球目を迷わずフルスイング。打球はあまりにも劇的な逆転満塁弾となって左翼席に突き刺さった。

 このプロ1号が10年間の現役生活で唯一の本塁打となったが、広島の球団初Vを大きく後押しする貴重な一発となったことから、今でも久保の名を記憶するカープファンは多い。

“守備の人”として計4球団を渡り歩いた工藤隆人も、トライアウトを経て中日に拾われた2014年8月28日のDeNA戦の7回に、三浦大輔から10年目のプロ1号となる右越え同点3ランを放ち、「ただ負けたくなくて、意地でも打ってやろうと思った。それがたまたまホームランになっただけです」と苦労人らしいコメントを口にしている。

 人それぞれ、さまざまな野球人生が凝縮されたプロ1号は、まさに人間ドラマの宝庫である。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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