日本のホスピタリティーをチャットボットに埋め込んで――綱川明美(ビースポーク社長)【佐藤優の頂上対決】

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高校からUCLAへ

佐藤 もともと起業しようと考えていたのですか。

綱川 いえいえ、私はサラリーマンに憧れていたんですよ。両親が会社を経営していたので、ちょっと普通の家とは違っていたんですね。友達のうちは、学校が終わって家に帰ると母親がおやつを用意して待っていてくれたり、週末になると遊園地に連れて行ってくれたり、夏休みになると家族旅行に行くじゃないですか。そういうことがなくて――。

佐藤 ご両親が経営しているのは、どんな会社なのですか。

綱川 家電製品を海外に輸出するのがメインの事業で、レストランや結婚式場、バーなどもやっていました。

佐藤 大学はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)ですね。それも高校から直接行かれた。

綱川 神奈川県立横浜緑ケ丘高校に通っていたのですが、1学年は300人ほどで、海外へ進学したのは私ともう一人でした。

佐藤 どうしてそういう選択をされたのでしょう。

綱川 昔から、みんながやっていることはやりたくなかったんですね。それに進学して勉強するなら、サボれない環境がいいと思った。日本の大学だと、お酒飲んで合コンして、3年になったら就職活動を始めるのがよくある流れだと聞いたので、自分にはフィットしないと思いました。

佐藤 たぶん綱川さんは本当の意味で、勉強が好きなんですよ。

綱川 あ、嫌いではなかったですね。

佐藤 大学で教えていると、つくづく日本の大学生は勉強が嫌いなんだと感じるんです。

綱川 そうなんですか。

佐藤 大学入学までに勉強嫌いになってしまうんですよ。おそらく細かい試験で何度も選別され、偏差値競争で疲れ切ってしまうからでしょう。大学は、ようやくシャバに出られたという刑期明けみたいな感じです。だから大学生になったら遊ぶ。

綱川 刑期明け! どうして海外の大学へ、とはよく聞かれて、いつも「自分を追い詰めて頑張ろうと思った」と答えていたんです。他の人は勉強が嫌いで、自分は好きだった、というのは新しい発見です。

佐藤 大学ではどんな勉強をされたのですか。

綱川 国際開発学部に通ったのですが、そこでは世界のいろんな地域のトピックスを自分で選んで学べるんです。アジアや中東といった「エリア軸」と、人口学とか統計学、政治学などの「カテゴリー軸」があり、それを組み合わせる。私は中東を選びましたが、実は何かをすごく研究したわけではないんです。地域研究や移民問題などもやりましたが、3年で卒業したかったので、難しいけれど単位数の多い科目、例えばアラビア語やヘブライ語などを中心に取りました。

佐藤 大学での経験がいまのキャリアにつながっていますか。

綱川 その後、投資会社に入りましたし、穴場サイトもつながっているとはいえないですね。ただ、最近になって、回り回ってつながってきたと感じています。

佐藤 そう感じさせる出来事があったのですね。

綱川 18年に台風で関西国際空港に渡る橋が壊れました。その際、導入先ホテルの利用者の方々から、お困りごとのチャットが殺到したんです。その回答は自動化できていなかったものも多々あり、エラーが出たものはすべて人力で対応しました。あの時、「学生時代にやりたかったことに近づいてきた」と思ったんです。

佐藤 どういうことですか。

綱川 国際開発に興味はあったものの、貧困撲滅も人口減少もテーマが大きすぎるんですね。でも、少しのサポートで状況が一変するようなシチュエーションもあります。それが先ほどの災害時の多言語対応です。災害や事故などの緊急事態に巻き込まれた時に、少しの情報があるだけで、パニックにならず、救われる命もある。そこに関わることができたと思った。だからあの時、自分が学生時代にやりたかったことに戻ってきたという感慨がありましたね。

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