「素人は口を出すな」という批判の危うさ 曖昧な玄人との線引き(古市憲寿)

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 ジャーナリストの江川紹子さんが「ニュース番組なのに、ウクライナ情勢を全くの素人(クリエイティブディレクター?)にコメントさせるなんて、どうかしてる」とツイッターに投稿していた。

 誰かに「素人」というレッテルを貼って、その発言を封じるというのは、非常に危険な行為だと思う。もしも「素人」が社会問題に意見する権利がないなら、ほとんどの出来事に我々は沈黙せざるを得ない。

 しかし江川さん自身は、盛んにツイッターでウクライナ情勢について語っている。いつから江川さんがウクライナの専門家になったのかは知らないが、テレビの「ニュース番組」と、ツイッターは違うというのか。

 しかし専門家という「玄人」の発言を盲信することの危険性を、この2年間で我々の社会は学んだはずだ。新型コロナウイルスの流行に関して、あまたの専門家の予測は外れた。経済や社会に踏み込んだ発言を厭わなかった専門家も多い。

 またウクライナ情勢についても、どれだけの専門家がロシアの全面侵攻を予測できていたか。専門家を信じすぎるのは危険である。

 誰かの言論を批判するなら、「素人」かどうかではなく、その内容に注目すべきだろう。

 江川さんが「素人」と糾弾したのは、時間から推測するに辻愛沙子さん。ウクライナ情勢が緊迫する2月23日夜の「news zero」で、次のように述べていた。

「より強い国が武力をもって一方的に征服することを今、許してしまったら、近しい状況にある他の国にもよくない影響を及ぼしかねない」「第2次世界大戦で痛みを伴って学んだことを絶対に繰り返さないためにも、断固として許さない姿勢が必要」ではないか、と言う。

 ユニークな意見ではないが、一般論としてそれほど的外れだとは思わない。

 日本のニュースや情報番組に登場するコメンテーターは、しばしば批判の対象になる。欧米のニュース番組にコメンテーターはいない、なぜ素人に意見を求めるのか、といった具合だ。

 歴史的には、かつてのテレビ番組では、司会者がコメンテーターの役割も兼ねていた。それがある時期から徐々に分業化が進んでいき、今のような「日本のテレビ」方式が誕生した。

 確かに海外のニュース番組で、非専門家の意見を聞く機会は少ないように思えるが、それは司会者がコメンテーターも兼ねているから。彼らは堂々と政権批判をすることも珍しくない。だが当然ながら、司会者は全ての社会問題に対する「玄人」ではない。

「素人は口を出すな」という批判は非常に危うい。究極的には民主主義を否定し、全体主義を容認しかねない思想である。誰もが自由に発言をして、その積み重ねで社会はできていく。もちろんそれは一つの理想に過ぎないが、その理想を捨てたら民主主義は成立しない。そういえば江川さんも野球に関しての発言で、張本勲さんを立腹させていた。その件に関しては全面的に江川さんを擁護する。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2022年3月17日号掲載

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