元公安警察官は見た ベーブ・ルースと共に来日した天才「大リーガースパイ」の極秘任務

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我々は負ける

 プリンストン大学3年の時、野球チームは19戦全勝をあげ、チーム最高の3割8分6厘を記録した。大学卒業後、ブルックリン・ドジャースに入団した。

「大リーガーのかたわら、米当局の指示でスパイとしても活動しました。野球を辞めた後、彼はCIAの前身であるOSS(戦時業務局)の諜報員になっています」

 第二次世界大戦では、ドノヴァンOSS長官から、ドイツの原爆開発の調査を命じられた。モーは、情報収集のため、時にはドイツ将校に扮して、軍事工場に潜入したこともあったという。

 戦況が不利になったドイツは、重水(比重の大きい水、普通の水は軽水と呼ぶ)から原爆を製造することに望みをかけていた。重水は、ウラニウム原子の核分裂を制御するのに役立つ。当時、重水で世界最大の生産量をあげていたのは、ノルウェーのリューカン工場だった。

 ドイツ軍は1940年以来、ノルウェーを占領していた。重水をベルリンの研究所に送るため、リューカン工場の従業員に強制労働を強いていた。ところがノルウェー人による工場の破壊工作で、重水生産がストップ。ところが、1943年春、生産が再開したとの情報が流れた。

「モーはその年の10月、米軍機でノルウェーに潜入。リューカン工場の重水生産量は以前の半分以上であることを確認し、マンハッタン計画(アメリカの原爆製造計画)の責任者であるグローヴス少将に報告。ただちに米軍がリューカン工場を爆撃し、ドイツは重水生産ができなくなりました」

 さらにモーは、ドイツで原爆生産にかかわっていた博士にも接近した。

「ノーベル物理学受賞者のハイゼンベルグ博士です。彼に接近し、OSSからは場合によっては殺害してもいいという指令を受けていました」

 モーは、ハイゼンベルグがドイツのヘッヒンゲンに居ることを突き止めたが、ナチスが厳重警備を敷いていた。そこで、反ナチスでスイスのチューリッヒ工科大学のシェーラー教授がハイゼンベルグと親しいことを突き止め、今度はシェーラーに近づいたという。

「モーはシェーラー教授に頼んで、ハイゼンベルグに工科大学で講演してほしいと招待状を送らせます。そして1944年12月18日に講演が行われ、モーは学生に扮して講堂の最前列の席に座ったのです」

 講演後、モーはある物理学者と話しているハイゼンベルグに近づいた。モーは、「我々は負けますよ」とハイゼンベルグが言ったのを聞いてほっとしたという。原爆製造に成功していれば、こんな言葉は出てこないからだ。原爆開発はまだそれほど進んでいないと確信したという。

 その夜、シェーラー教授の家でハイゼンベルグを迎え晩餐会が開かれた。そこでもハイゼンベルグはドイツが戦争に勝てるとは思えないと漏らした。その直後、モーは、OSS本部にハイゼンベルグの話を暗号電報で知らせたそうだ。

「モーに関する資料を紐解いていくと、スパイになるべくしてなった男だったことがわかります。IQの高い人はスパイに適しているのです。ソ連のスパイで太平洋戦争中日本で諜報活動を行ったゾルゲをはるかに超えた存在ですよ。ましてや大リーガーであったわけですから、本当に凄い人物ですね」

勝丸円覚
1990年代半ばに警視庁に入庁。2000年代初めに公安に配属されてから公安・外事畑を歩む。数年間外国の日本大使館にも勤務した経験を持ち数年前に退職。現在はセキュリティコンサルタントとして国内外で活躍中。「元公安警察 勝丸事務所のHP」https://katsumaru-office.tokyo/

デイリー新潮編集部

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