元公安警察官は見た ベーブ・ルースと共に来日した天才「大リーガースパイ」の極秘任務

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 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を十数年歩き、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、戦前、ベーブ・ルースと共に来日した“大リーガースパイ“について聞いた。

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 戦前、大リーガーの中に、超大物スパイがいたことをご存じだろうか。ボストン・レッドソックスなどに所属したモー・バーグ捕手だ。彼のIQは200を超え、プリンストン大学で法律を専攻していたインテリである。

 1934(昭和9)年11月、ベーブ・ルース率いる大リーグオールスターチームが来日して日米親善野球を行った際、彼も(当時シカゴ・ホワイトソックス)も同行した。全米チームが皇居で天皇・皇后両陛下に拝謁した際、流暢な日本語で天皇陛下と会話したのがモーだった。

 2年前の1932年にも、野球のコーチとして来日している。わずか数カ月滞在しただけだが、この短期間で日本語をマスターしたと言われる。

聖路加病院の屋上で

「モーは34年、駐日アメリカ外交関係者宛ての手紙を持って日米親善野球のために来日しました。そこにはハル国務長官の署名があり、モーに必要な援助と保護を与えるように書かれていました」

 と語るのは、勝丸氏。

 11月5日から始まった日米親善野球では、初戦から出場したものの、最後はほとんど試合に出なかったという。11月27日、駐日アメリカ大使の娘、ライアンさんが聖路加病院で女児を出産したことを知ると、その2日後、花束を買い聖路加病院へ向かった。この日は大宮球場で試合が行われていた、のにだ。

「受付でグルー大使の娘の友人だと日本語で話し、見舞いに来た旨を伝えています」

 ライアンさんの病室は7階だった。

「モーは病室へは行かず非常口へ向かいました。周りに誰もいないのを確認して非常口のドアを開け、屋上へのぼります。そして携帯していた16ミリカメラを取り出し、シャッターを切ったといいます。面識もないライアンさんのお見舞いを名目に病院へ行き、実際は写真撮影したというわけです」

 モーは、皇居をはじめ、東京湾に浮かぶ軍艦、鉄道などを撮影。都心だけでなく、横浜、千葉、埼玉、武蔵野方面にもカメラを向けた。

「この時撮影した写真は1942年4月18日、日本本土爆撃のために航空母艦ホーネット号から飛び立ったドーリットル中佐が重要な資料として使ったそうです」

 モーは1902年3月2日、ニューヨークで生まれた。父親はユダヤ系ロシア移民だった。高校時代に野球クラブに入り、注目を集めた。一方、語学に対する才能は抜きんでており、プリンストン大学では、ラテン語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語と、主要な外国語を喋れるようになったという。

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