著名人が政治的な発言をしない本当の理由 ヴァージルの言葉から考えた「正義」という武器(古市憲寿)
デザイナーのヴァージル・アブローがこんなことを語っていた。「人種についてなにひとつ間違ったことを言わずに話すのは、ほんの3分でも不可能なんじゃないか」(「新潮」2022年3月号)。41歳でこの世を去った彼の、最後のロングインタビューだという。
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興味深いのは、ヴァージルのような黒人自身が人種差別を語ることの難しさを吐露している点だ。彼が初めて偏見を向けられたのは、白人からではなく黒人からだったという。高校生の頃、学食のテーブルで黒人から「お前は饒舌すぎる。なんで白人みたいにしゃべるんだ」となじられた。
2020年夏のブラック・ライブズ・マター運動の時も、彼は黒人コミュニティーから猛烈なバッシングに遭った。略奪行為を嘆いただけで批判を受け、「直接、行動しなよ」「あなたは闘うべきだ」との声が集まった。
もちろんヴァージルは白人中心主義にも違和感を抱くのだが、同時に黒人コミュニティーにも居心地の悪さを感じていたようだ。
彼は著名人が政治的な発言をしない理由が腑に落ちたという。それは「誤りを言うのはあまりにも簡単」だからだ。一つの発言で苛烈に非難されるなら、黙っていた方がずっといい。
しかも、ヴァージルが受けたようなバッシングは必ずしも純粋な正義感の発露によるものとは限らない。むしろ「正しさ」は都合よく利用される。
歴史的にはガリレオ・ガリレイの宗教裁判が有名だ。ガリレオが地動説を認めない頑固な宗教者と闘った科学者というのは、後世に作られたイメージに過ぎない。当初はイエズス会士やローマの有力者もガリレオの発見を認めていたし、時に好意を持って受け止められた(田中一郎『ガリレオ裁判』)。
ガリレオの立場が悪くなったのは、聖書の解釈にまで踏み込んでしまったからだ。それが教皇庁内での派閥争いや、元々ガリレオのことを気に食わない人の策謀に巻き込まれる形で、大事件に発展していった。
いつの時代も、誰かを貶めようと思ったら、誰も反対できない「正義」を振りかざすのがいいらしい。たとえ私怨や不純な動機だったとしても、正義感に駆られたピュアな人々が味方についてくれる。面白半分に炎上を盛り上げてくれる人もたくさんいる。「セクハラ」「パワハラ」「性差別」として糾弾される問題の裏側には、ただの人間の好き嫌いや、人事などの俗事が絡んでいるというケースが往々にしてある。
だが「正義」を武器に使った人は、最も「正義」からはみ出さないことが求められる。「正義」という武器は、その使用者に最も深いくさびを打ち込むのだ。だからその人自身が、いつか「正義」に足をすくわれ、血祭りに上げられるのかもしれない。
その意味では、いくら「話のつまらなさには定評がある」と揶揄されようとも、サービス精神でうっかり口を滑らせたりしない岸田首相は、現代社会に最も適合した政治家なのだろう。炎上しない社会は、つまらない社会なのである。